コロナ禍は、日本の医療制度の前提を根本から揺さぶった。「すべての医療を同じ条件で面倒を見つつ、その費用は社会全体で支える」という枠組みを当然としてきたが、医療体制の逼迫や病床不足は、医療資源が有限であるという事実を可視化した。医療に資源を集中すれば、他の政策領域にしわ寄せが生じる。このトレードオフが現実の経験として共有された意味は大きい。
予算が逼迫した際には、通常、取るオカネを増やすか、出るオカネを減らすか、を考える。しかし、医療では、「自己負担や社会保険料・税金を上げる」ような前者の対策に絞られ、出るオカネの最適化の議論に行き着かなかった。
日本では、承認された薬はほぼすべて、同じ条件で保険で賄われることになる。しかし、本来の国民皆保険の発想は、「皆に・安価で・必要な医療」を提供することであり、「皆に・無料で・すべての医療」は必須ではない。長く広範な給付を維持してきた結果、給付にメリハリをつける発想はタブー視され、「人命は地球より重い」との主張の前に、議論は深まらなかった。しかし、最近、現役世代を中心とした社会保険料の負担の重さが話題になるにつれ、これまでのような「取るオカネを増やす」のみの対策では立ち行かないことが可視化された。どの治療にどれだけの価値を置くかを評価することは、タブーから不可欠な議論へと変貌した。
コロナ禍を経て議論が活発になったとは言え、具体的に何を優先し、何を削るかの議論は依然として低調だった。この構図を崩したきっかけのひとつが、高額療養費制度の見直しである。医療保険が最も力を発揮するのは、「可能性は低いが、起これば大きな負担となる疾患」への保障だ。その意味で、高額療養費制度が対応する若年層のがんや稀少疾病は、最優先されるべきカテゴリである。2024年末から始まった見直し議論では、自己負担限度額の引き上げが、優先度の高い患者のいのちに直結する問題として受け止められた。「議論を避け続ければ、最も重要なところが改悪される」という危機感も共有された。患者団体の貢献で引き上げがいったん凍結された後は、「高額療養費制度を守るなら、どこを削るか」へと議論が発展した。何かを手厚くするには、別の何かを削る必要がある。長くタブー視されてきたメリハリの議論が、コロナ禍と高額療養費制度という2つのきっかけを経て広く許容されるようになったことは、特筆すべき変化である。
何かを手厚くするために、何かを削る……これを「格調高く」表現すれば、医療資源の最適配分となる。削るべきものは何か? 最適配分のツールは何か? むしろ、最適配分のツールは存在するのか? 様々な論点を、今後取り扱っていく。
五十嵐 中(慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授)[医療資源][医療制度][最適配分]