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【識者の眼】「盆踊り」中村利仁

登録日: 2026.08.07 最終更新日: 2026.08.07

中村利仁 (社会医療法人慈恵会聖ヶ丘病院内科)

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日本の夏の風物詩は、その暑さのせいか実に様々です。風鈴、セミやカエルの鳴き声、下駄の音。アサガオ、花火、ハスの花。そして冷たいビール、かき氷、スイカ、そうめん、冷や麦、冷やし中華。

日が暮れると、どこからともなく盆踊りの唄と鉦太鼓が聞こえてきます。北海道では北海盆唄や子供盆おどり唄、他の地域では東京音頭、炭坑節など。また、子どものためにドラえもん音頭やクックロビン音頭も踊られているそうです。

このお盆というのは、一般的に仏教の風習とされています。しかし、お釈迦さまの原始仏教には当初存在せず、中国へ伝わった仏教が儒教由来の祖先崇拝と融合して成立した盂蘭盆会に由来するとされています。その風習がさらに日本に伝わり、もともとの宗教にこだわらず外国由来の祭りや行事を取り入れてきた日本で独自の変化を遂げ、現在の姿として定着しました。日本独自の風習である盆踊りは、その代表例と言えるでしょう。インドや中国には、日本のような盆踊りの風習はもともとありません。

先祖でなくとも、亡くなった人に還って来てほしいと願うのは自然なことです。5世紀頃に成立したパーリ仏典にも、幼くして亡くなった我が子を生き返らせようと奔走する母親、キサー・ゴータミーの姿が描かれています。彼女は僧から「死者を出したことのない家からケシの実をもらってきなさい」と言われます。しかし、乳幼児死亡率が高く大家族制であった当時、そのような家は一軒もありませんでした。家々を訪ね歩くうちに、彼女はその事実に気づいていくのです。

医療の現場では、予期せぬ死を避けられないことがあります。予定されていた最期であっても、家族、とりわけ子どもの死を受け容れることは、今も昔も容易ではありません。エリザベス・キューブラー=ロス(1926〜2004年)が『死ぬ瞬間』(1969年)で示した、病気が進行し、自らの死は避けられないという現実を突きつけられたときの死の受容のプロセスと、「悲嘆の仕事」についての考え方は、患者本人だけでなく、その家族や親しい人々にとっても重要な道標となっています。

親しい人を失った悲しみは、時間が少しずつ和らげてくれるものです。しかし、それは自然に忘れ去ることができるものではなく、様々な悲嘆の仕事を経てもなお、本人や周囲を長く傷つけ続けることがあります。これはしばしば「病的悲嘆」と呼ばれますが、医療従事者はこれを支援することはできますが、自傷他害などが明らかになるまでは支援の対象とはなりません。患者の家族は、医療従事者にとって患者そのものではないからです。

日本には「葬式仏教」という言葉があります。普段は熱心に仏教行事へ参加するわけでなく、初詣は神社にでかけ、結婚式は神前式やキリスト教式で挙げ、ハロウィンやクリスマスも楽しむ一方で、葬式だけは代々の墓がある寺に依頼する─そうした多くの日本人の風習を表した言葉です。

考えてみれば、宗教の違いにかかわらず、葬式もまた悲嘆の仕事のひとつなのでしょう。

「わしら傀儡子はね、悲しい時、辛い時に踊るんだ。悲しさは、静かな場所より、賑やかな場所が似合うんだね」庄司幻斎〔隆 慶一郎『吉原御免状』(新潮社)〕

中村利仁(社会医療法人慈恵会聖ヶ丘病院内科)[死の受容][悲嘆の仕事グリーフケア

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