中国の宗教といえば、まず儒教、仏教、道教という辺りがよく知られているところだろうと思います。また、歴史上の人物が神として祀られるということもよくあり、たとえば中華街にある関帝廟は、『三国志』に登場する蜀漢の英雄・関羽雲長を神として祀っています。
牽牛・織女の名は、星の名前として、遅くとも紀元前6世紀頃に成立したとされる儒教の経典『詩経』に記されています。その後、後漢末頃から徐々に、天帝によって天の川の両岸に引き離された恋人、あるいは夫婦が、七夕の夜に1年に1度だけ会えるという物語ができ上がっていきます。牛の番のために動けない牽牛に対して、天の川を渡るのは織女ですが、雨が降って増水すると川を渡れません。そして見かねたカササギたちが橋をつくってくれるというお話につながります。
この伝説を記録したのは当時の学者である儒者たちですが、孔子の言葉にその種のお話はありません。民間伝承をまとめたものとされています。では、この民間伝承はどこから生まれたのでしょうか。
牽牛織女の物語には、その鍵となる重要な脇役として天帝あるいは西王母が登場します。
中国にも神話があります。多くの宗教によって上書きされ、その原型は定かではありませんが、民間伝承の収集や、儒教以前に成立したとされる『山海経』などの研究を通じて、その姿が少しずつ明らかにされてきました。盤古、伏羲、女媧による創世神話もそのひとつです。
中国神話の中には西王母や天帝もいます。西王母は道教の神仙の最高位としてよく知られていますが、中国神話では半人半獣の姿をした神です。天帝となると諸説あります。盤古や伏羲の後身であるとする説もあります。つまり、牽牛織女伝説の源流は儒教以前の中国神話にあると考えられるのです。
空にある天の川に雨が降るというのも妙な話ですが、そもそも中国神話の創世神である女媧と伏羲は、天界を襲った大洪水を生き延びた存在として語られています。そうした神話の世界であれば、牽牛と織女が出会う7月7日の夜にだって、雨が降ることはあるのです。
第二次世界大戦中の1943年、当時英国の植民地であったインドのベンガル地方を大型のサイクロンが襲い、デルタ地帯に深刻な洪水被害をもたらしました。3000年以上にわたって米作の盛んな地域でしたが、過去にも幾度か大飢饉が記録されています。このときは隣接する穀倉地帯であったビルマ(現ミャンマー)が日本軍の占領下にあったこともあり、またもや歴史に残る大飢饉となりました。犠牲者は200万〜300万人と推計されています。
ところが、ベンガル出身で9歳のときにこの大飢饉を経験した経済学者・哲学者アマルティア・センは後に、洪水被害があったにもかかわらず、この年の食糧生産量は飢餓を引き起こすほどは少なくなかったことを示しました。問題は分配の不平等、つまり市場の失敗にあったのです。
経済システムの機能のひとつは、稀少資源の配分を決定することです。経済学の定義は種々ですが、稀少資源の最適配分を論じる学問であるとする立場があります。稀少資源が不足したときの対策はもちろん重要です。しかし、近年経験してきたように、不足がなくとも配分に失敗すれば、それだけで破局はやってくるのです。
「時間を無駄にした。御用学者じゃ何もわからん」内閣総理大臣・大河内清次(『シン・ゴジラ』)
中村利仁(社会医療法人慈恵会聖ヶ丘病院内科)[市場の失敗][資源配分]