2025年5月、病理医の救急当直参加を巡る議論が、X(旧Twitter)で交わされた。救急当直を担う臨床医側からは「不公平」「負担を共有すべき」という声が上がり、病理医側からは「患者安全が損なわれる」「業務が崩壊する」といった反論があった。
ただ、どちらが正しいかを問う前に、立ち止まって考えたいことがある。
当直参加の是非は、一概には言えない。病理医が複数いる施設と、1人病理医の施設とでは条件がまったく異なる。夜間の剖検待機を引き受けることで、当直免除を得ていたケースもある。各施設の実情、人員体制、業務量、働き方改革への対応状況─これらを無視して「入れ」「入るな」と論じても、議論は空転するだけだ。
特に1人病理医の場合、当直翌日の診断業務への影響は深刻である。病理診断は、顕微鏡下で動かない標本を長時間観察し続ける、外部刺激の乏しい、静的な集中を要する作業だ。こうした単調で持続的な注意を求めるタスクは、睡眠不足による集中力低下の影響を受けやすいことが知られている。
当直明けの疲弊した状態で悪性腫瘍の組織型を判定すれば、見落としや誤判定のリスクは現実のものとなる。しかも、そのミスは手術方針や化学療法の決定に直結し、発覚まで時間がかかる。バックアップなしに1人で診断を担う体制において、この構造的リスクは軽視できない。
それよりも注目すべきなのは、こうした不満がSNSに噴出する背景である。病理医に矛先を向けるほど、当直担当の臨床医が追い詰められている、ということでもある。医師の絶対数が不足し、当直体制が一部の診療科に集中し、働き方改革の理念と現場の実態が乖離している。病理医への怒りは、その歪みが向かう先のひとつにすぎない。
構造的な問題を個人への批判で解消しようとしても、誰も救われない。互いの業務実態を知り、歩み寄れる余地を探ることのほうが、よほど建設的だ。臨床医には、病理診断に集中することがいかに疲労に脆弱かを知ってほしい。病理医には、当直を担う同僚が日々どれほど消耗しているかに、もっと想像力を働かせてほしい。
「病理医はドクター・オブ・ドクターだから尊重される」という言説がある。しかし、尊重は自称するものではなく、互いの仕事を知ることから生まれる。この議論が、そのきっかけになれば、SNSの喧騒も少しは意味を持つ。
榎木英介(一般社団法人科学・政策と社会研究室代表理事)[病理医][当直]