X(旧Twitter)で「元予備校講師だが声を大にして言いたい。国立大に受かるってすごいことだからね。地方とか旧帝大とか関係なく、すっごく努力した証だから。さらに後期で受かったと聞いたら、もう偉人レベルで尊敬する。ヤバいやつだって褒め称える」という投稿が流れてきて、その言葉が妙に胸に刺さった。
それは、筆者自身が国立大学医学部に後期で合格したからではない。息子の受験を通して、その過程の苛烈さを改めて実感したからである。
息子は予備校の文系で最も難しいクラスに入り、直前の模試の結果も良かった。あわよくば……と淡い期待を抱いていた。
しかし、共通テストを契機に状況は一変した。「俺の人生は終わった」と言って、ほとんど何も話さなくなった。我が家はまるでお通夜のような空気に包まれた。受験生の親というものが、これほど苦しいものだとは想像していなかった。
二次試験の受験先について、本人は悩みに悩んだ末、当初の志望大学を諦めた。受験というものは、勉学の実力だけで決まるものではない。体調、精神状態、問題との相性、運─様々な要素が結果を左右する。息子の姿を前にして、その現実を突きつけられた。最終的に息子は、予備校から「合格圏内」と勧められた大学を受験した。当初の志望大学は浪人を選択してまでめざしていた大学であり、その思いは察するに余りある。
息子の受験を通して改めて実感したのは、医学部に合格している人たちは並大抵の人たちではないということだ。長い年月の努力と不確実性を乗り越え、結果を手にしてきた人たちである。先の投稿の言葉を借りれば、確かに「ヤバいやつ」であり、「すごいやつ」なのである。
それほどの努力を重ね、高い資質を持つ人たちであるにもかかわらず、「私なんて」と自らを低く評価する女性医師を少なからず目にする。特に出産や子育てを経験した後、その傾向は強くなる。私自身も決してその例外ではない。
確かに出産や育児は人生の大きな出来事である。生活は変わり、時間の使い方も、体力の配分も、優先順位も変わる。だが、それは「能力が失われた」ことと同義ではない。同じ言葉を、子を持つ男性医師から耳にすることはほとんどない。
長時間労働を当然視する働き方、家庭責任の偏り、「育児中は本来の力を出せないはずだ」といった無意識のバイアス─そうした環境の積み重ねが、女性の自己評価を静かに侵食していく。
本来、もっと自信を持って良いのではないか。高い能力を持ち努力を重ねてきた人たちなのだから。
河野恵美子(大阪医科薬科大学一般・消化器外科)[外科医][自己評価]