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【識者の眼】「ブルックリンの在宅医療」武藤正樹

登録日: 2026.04.28 最終更新日: 2026.04.28

武藤正樹 (社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事)

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筆者の在宅医療の初体験は、米国ニューヨーク・ブルックリンであった。1980年代末、旧厚生省の派遣により、ニューヨーク州立大学の家庭医療学科(ファミリー・プラクティス)へ留学したときのことである。

ある日、ユダヤ系の高齢女性が自宅のバスルームで転倒し、大腿骨頸部骨折を起こした。筆者は老年医療の指導医やレジデントとともに、その女性のアパートを訪問した。指導医が「ホームビジット(在宅訪問)に行くぞ!」と号令をかけ、レジデントやケースワーカーを真っ赤なジャガーに乗せて現地へ向かった。

「この高齢女性がバスルームで転倒して、ヒップフラクチャー(大腿骨頸部骨折)を起こした。今日はそのホームアセスメントだ」と指導医は説明した。患者宅ではまず、転倒現場の確認としてバスルームに直行した。「この暗いバスルームを見てみろ。天井の電球はいくらだ?」「1ドルぐらいでしょうか」「では、この骨折の手術費用は?」「少なくとも1万ドルはかかります」「どちらが安い?」。……暗い電球を明るいものに替えるだけで転倒は予防でき、結果として高額な医療費を防げる、という示唆であった。その後、薬箱の残薬や冷蔵庫の食品の状況を確認し、訪問は終了した。

こうして家庭医療や在宅医療を学び、意気揚々と日本に帰国した。しかし当時、日本医師会は厚生省が進める「家庭医構想」に強く反対していた。そのため帰国後は、「米国で家庭医療を学んだ」と公言しづらく、留学経験を十分に活かせないまま、在宅医療からも遠ざかっていた。

転機は2020年である。神奈川県横須賀市の日本医療伝道会衣笠病院に赴任して以降、週1回ではあるが訪問診療を再開し、介護老人保健施設からの訪問リハビリにも同行するようになった。実に30年ぶりの在宅医療である。在宅医療は入院医療や外来医療とは本質的に異なり、いわば「アウェイの医療」である。再開当初は、戸惑いと緊張の連続であった。

在宅では患者と家族の生活が中心であり、医療はその一部にすぎない。留学時代、メディカル・ソーシャルワーカーのルースが繰り返し語っていた、「純粋に医学的な問題などない」という言葉を思い出す。実際には、医療と介護が絡み合い、家庭や地域の中で複雑にこじれた課題が存在している。

それでも在宅医療には大きな魅力がある。入院や外来では見えない患者や家族の素顔に触れられること、生活の場で話をじっくり聞けること、さらに、四季の移ろいを肌で感じながら医療に携われること、である。ブルックリンでの留学から30年を経て、横須賀市で再び出会った在宅医療─まさに「すべのことには時がある」と実感している。

武藤正樹(社会福祉法人日本医療伝道会衣笠病院グループ理事)[在宅医療][プライマリ・ケア

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