検索

×
絞り込み:
124
カテゴリー
診療科
コーナー
解説文、目次
著者名
シリーズ

【識者の眼】「給付における高所得層の高い自己負担割合が制度の持続可能性をむしばむ」森井大一

登録日: 2026.04.06 最終更新日: 2026.04.21

森井大一 (日本医師会総合政策研究機構主席研究員)

お気に入りに登録する

社会保障に関する議論は、機能(強化)と持続可能性(強化)の2つの論点に大別される。もちろん、両者は複雑に絡み合っており、すっきりわけられないことも多い。

たとえば、「財源の負担は応能原則」「サービスの給付は必要原則」という医療保険(健康保険と国民健康保険を合わせてこう呼ぶことにする)の2つの大原則について考えてみる。前者は支払い能力による不平等な(富める者からより多く)徴収を許容し、後者は支払い能力とは無関係の平等な(富める者にも同じだけ)給付を約束するものとみることができる。

1938年(昭和13年)、国民健康保険法案の提出にあたり、厚生大臣木戸幸一は次のように述べている。

「医療を受けることに関し第一に問題となるのは医療費の負担でありまして、殊に最近に於ける農山漁村居住民、都市中小商工業者等の疲弊は深刻なるものがあり、かかる人々にとって医療費は相当経済的重圧となっているのであります。この医療費問題を根本的に解決するには、共同の力と平素の用意とによる保険組織をもって最良の策たることを認め、本法案を作成した次第であります」(下線は筆者)

この立法趣旨だけを見れば、給付は必ずしも平等でなくてもよいように思われるかもしれない。ところで、今日の後期高齢者医療制度や高額療養費の自己負担割合に所得区分が設けられているのは、給付の場面における不平等である。このような富める者に対する給付の不利益な取扱いは許容されるか。「サービス給付の必要原則」を問い直すとは、そのような問いを発することである。立法趣旨が貧しい人々の医療アクセスの確保にあるのだから、富める者の給付を一定程度抑えたとしても、医療保険の「機能」という論点からは問題ないと考えることもできる。

しかし、「給付における不平等」が持つ本当の問題は、機能ではなく持続可能性にある。富める者にとって、給付の場面で不利益な取扱いが予定されているのであれば、それはもはや自らの健康上のリスクに備える保険ではなくなる。何のための保険なのかがわからなくなる。保険料を多く負担し、給付が少ないのであれば、富める者は貧しい者の医療サービスを賄うための財布にされていると感じるだろう。富める者であろうと貧しい者であろうと、人が保険に加入するのは(たとえそれが強制加入であったとしても)自分自身のためである。法の趣旨が一見、給付の不平等を許容しているように見えたとしても、それを正面から認めてしまえば、もはや保険とは言えなくなる。

保険として許されるのは、財源の負担(つまり保険料)における不平等である。これは持続可能性のために不可欠な要素であり、医療保険も保険である以上、この不平等を前提としている。現実には、負担能力の乏しい者から徴収しようとしても徴収できるはずがない。それが動かしがたい現実である。

財源を確保することは、持続可能性における最も重要な要素である。そのためには、富める者による財源負担への納得を確保しなければならない。その納得をないがしろにすれば、医療保険は遅かれ早かれ持続可能性を失うことになる。

給付の場面で高い自己負担を求めることは、それだけ給付を抑制することにほかならない。給付における所得区分が、あたかも医療保険の持続可能性を高めるかのような議論が横行しているが、むしろ逆である。

森井大一(日本医師会総合政策研究機構主席研究員)[社会保障持続可能性

ご意見・ご感想はこちらより


1