医療技術の進歩に伴い高額な新規治療法が相次いで登場する中、それらを公的保険でカバーするには財源の限界があるとして、民間保険を活用すべきとの主張がしばしば唱えられる。しかし、民間保険にゆだねれば本当にうまくいくのであろうか。
民間保険を活用する場合でも、当然ながら財源が天から降ってくるわけではない。多くの国民が民間保険に加入し、保険料を支払わなければ必要な財源は確保できず、新規治療法を利用できる患者も増えない。診療報酬制度のように価格や対象をコントロールする仕組みがないまま、高額な新規治療法の「マーケット」が拡大すれば、民間保険でも保険料の上昇は避けられなくなる。公的保険から民間保険に付け替えても、結局はその財源を誰かが負担しなければならないのである。
民間保険の活用によって医療を必要とする患者への医療提供が可能なのであれば、民間保険料ではなく、その負担を公的保険における保険料や税金でわかち合えばよいはずだ。にもかかわらず、民間保険にゆだねてしまうと、民間保険への加入の有無、すなわち所得水準などによる医療格差が拡大してしまう。
わが国の国民皆保険は「必要かつ適切な医療は基本的に保険診療により確保する」ことを基本的理念としているが、個々の治療法について何が「必要かつ適切な医療」なのか、医学的見地からの議論はありうるだろう。同時に、医療経済評価の視点自体を無視することも適切ではない。新規治療法の有効性の評価や、それに基づく価格設定のあり方について検討が必要であることは言うまでもない。しかし、公的負担増の議論を忌避し、民間保険の活用へと逃げ込んでも、何の解決にもならないどころか社会に弊害をもたらしかねない。
他方で、保険収載されていても患者の自己負担が過重になれば、公的保険は空洞化する。従来その防波堤となっていた高額療養費制度について、負担上限額の引き上げが進められようとしている。2025年にはいったん撤回されたが、2026年度予算案に再び盛り込まれた。長期療養者などへの配慮が加えられたものの、自己負担が大幅に増加する患者が発生してしまう点に変わりはない。
経済的負担の重さが問題なのはもちろんのこと、本来は保険料や税金に適用される「能力に応じた負担」という考え方を自己負担にも当てはめている点で、原理的にも誤りである。近年、自己負担でも「能力に応じた負担」が唱えられることがあり、私は10年以上前からそのことに懸念を示してきた〔拙著『医政羅針盤』(医薬経済社)〕。保険料でも自己負担でも負担能力に応じた負担増が行われれば、保険加入の意味が稀薄化し、負担の支え合いにも理解が得られなくなる。
高額療養費制度の負担上限額が引き上げられれば、重い疾患に罹患した場合に多額の自己負担を補塡するために、手厚いプランの民間保険への加入が前提になりかねない。改めて指摘するまでもなく、民間保険は公的保険を補完し、必要な役割を果たしている。実際、今や、かなりの数の国民が何らかの民間保険に加入している。だが、民間保険に加入していないと安心して公的保険を利用できないというのでは本末転倒である。長期金利の上昇で「含み損」が拡大している保険会社にとっては、民間保険の需要が増えることは好都合かもしれない。しかし、国民生活への影響は大きい。
村上正泰(山形大学大学院医学系研究科医療政策学講座教授)[公的医療保険][民間保険][高額療養費制度]