医療において「より添う」とは何か。あえて言葉にするなら、「患者の心身両面の支えとなり、孤独感や不安感の軽減を図ること」といったところであろうか。
「より添う」を改めて考えさせられた出来事がある。第1は、10年以上前に関西で起こった心療内科クリニック放火事件である。多くの患者と院長が亡くなり、通院患者が「よく話を聞いてくれる良い先生だった」と涙ぐみながら語る姿が強く印象に残った。第2に、同じ頃、同僚医師が心疾患で急逝し、その担当患者を何人か引き継いだことがある。多くの患者は主治医の急死を冷静に受け止め、治療を継続された。しかし、少数ながら「あの先生がいたから私は生きてこられた。これからどう生きたらよいかわからない」と大きく混乱された患者もいた。それまでの不安や抑うつよりも、主治医の急死による強いストレス反応への対応に苦慮した。第3に、私自身が急な手術で外来を休診にした際、30年以上診ている患者が、診療再開時に「先生が診療をやめたらパニックになるところだった」と涙ぐまれることもあった。
「より添う」は精神疾患の治療に限らず、慢性身体疾患や在宅医療でも微妙だが確かな影響を患者に与える。関係が事務的・形式的になりすぎるのは望ましくない。しかし、医師にも転勤や急病がありうる以上、患者に「頼られすぎる」関係は問題をはらむ。大学病院勤務時代、勤務する病院から異動した医師の患者を引き継いだ新たな主治医が、「前医への思いが強く、引き継ぐのが難しい」と語るのを聞いたことがある。これも「より添いすぎ」の一面かもしれない。患者自身が自分の力で問題解決するのを妨げる可能性もあるし、時に「より添う」という姿勢の中に医師の「上から目線」を感じさせてしまう危うさもある。より添われる患者よりも、より添う医師の側が、その関係によって自らの安定を得ているように思えることさえある。
やや異なるが、親族が「より添うこと」を大切にして関わっていた患者が、実はごく軽度の意識障害と診断されたと聞いたことがある。「より添う」という言葉に安心し、治療可能な病態の発見が遅れたのではないかと疑問を抱いた。患者医師関係における「より添う」の適切なモデルは、いまだ十分に共有されていないように思う。
では、自分の診療ではどうか。限られた診療時間の中ではあるが、頼られすぎていると感じたときには「私もいつ急病で診療できなくなるかわからない。それも含めて一緒に考えよう」と伝えるようにしている。
また、精神科では、担当医が頻繁に変わる体制は批判されがちである。しかし、同一施設内で2人の医師が交互に診る「2人主治医制」は、患者医師関係を過度に固定化せず、より適切な「より添い」へ導くひとつの方法かもしれないと考えている。
宮岡 等(北里大学名誉教授)[精神科][より添う]