医療機関で研究に取り組む先生方は、「研究倫理研修」なるものを定期的に受けているはず。その手の研修を受けないと、研究論文を発表できない。
私も大学で研修を受ける。今どきの研修はオンライン。解説を読んで学習し、理解度の確認テストに合格しないといけないのだが、そこで次のような正誤問題があった。
「臨床研究の統計解析は、プロトコルにあらかじめ定められた方法に従うべきであり、データ収集後に解析方法を変更してはいけない」
想定されている正解は、むろん「○(正)」。が、またしても私は思い出してしまった。数年前、企業がキーオープン直前に主要評価項目を変更し、当局もそれを許容して承認された抗コロナ薬があったことを。当時、それを「研究倫理に反する」と堂々と批判した人はいなかったはず。
その承認判断の是非はさておき、私がしみじみ恐ろしいと思うのは、倫理研修を受ける私たち研究者の小賢(こざか)しい立ち回りである。この問には、ほぼ全員が脊髄反射並みの超速で「○」と答える。あのドタバタを思い出した少数派も、「緊急事態だから仕方ないね」程度の言い訳が頭をよぎるだけ。「緊急事態だからこそ倫理が大切なのでは?」といった面倒なことは、一切考えない。
過去数十年、倫理研修の確認テストで容易に満点を取ったはずの優秀な研究者が引き起こした不祥事は絶えない。「倫理研修に『倫理』的な不祥事を防ぐ力はない」ことを、ここで再確認したい。
不祥事のたびに所属組織が出す「研究者には高い倫理が求められる」というコメントにも、倫理を○×クイズで済まそうとするタテマエ臭がする。そもそも「高い倫理」って何のこと? 「エンハンスメント」「p-hacking」といった学術用語が飛び交う最先端の倫理のこと? カントの義務論に原点回帰? 誰もわかっちゃいないはず。「遺憾です」と同じ意味不明語である。
欠けているのは「高い倫理」ではなく、「低い倫理」である。「弱い人を虐めない」「やたらと威張り散らさない」「ウソをつかない」「破廉恥なことはしない」。子どもが両親や近所のおじさんたちから教わること。そうした「低い倫理」は、カタカナ語が並んだ倫理研修を受け、確認テストでさっさと100点を取って、「倫理研修受講済み」と研究計画書に記載することだけを目的とする、コスパ・タイパ重視の「小賢しさ」の対極にある。
……といったことを研修受講中につらつら考え、先述の問にはあえて「×(誤)」と答えた自分。むろん不正解だが、減点されても研修自体には合格することを見越している自分の醜い小賢しさに気づく。明らかに私の中にも、研究倫理の不祥事を起こす「タネ」は、ある。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[研究倫理]