筆者は大人になってからは、ほとんど漫画を読まずに生きてきた。しかし先日、たまたま『葬送のフリーレン』を読む機会があり、精神科医として度肝を抜かれた。
まず、主人公が「人の気持ちがまったくわからない」という点である。臨床的にみれば、発達特性を強く想起させる。次に、物語の中心にグリーフケアがとらえられている点だ(私は上智大学グリーフケア研究所の教官でもある)。グリーフケアとは、大切な人を失った人が経験する悲哀に寄り添うケアのことを指す。この漫画は、勇者、僧侶、戦士、魔法使いからなる一行が、魔王を倒すところから始まる。その後、平和が訪れ、人間である勇者や僧侶は、50年ほどで死んでしまう。一方、主人公フリーレンはエルフであり、桁違いに長命な存在として、彼らの死に向き合うことになる。
発達特性を持つ主人公が、グリーフケアを受ける漫画が、とうとう出てきたかと感慨深かった。出会いと別れという人生経験を重ねる中で、主人公が人生の喜びや他者の気持ちを徐々に理解していく姿は、とても希望の持てる物語である。
面白くなって、最近話題の漫画をいくつか読んでみたところ、さらに衝撃を受けた。最初に断っておくと、筆者は子どものころから漫画が特別好きだったわけではない。男子のたしなみとして、『北斗の拳』『ドラゴンボール』『ジョジョの奇妙な冒険』を多少は読む程度であった。無知はご容赦頂きたい。
今回読んだのは『進撃の巨人』『ゴールデンカムイ』『鬼滅の刃』である。これらは、精神科医である筆者には、いずれも国民国家の物語として読めた。
まず、『進撃の巨人』は、壁に囲まれた地域や海に囲まれた島が、世界を敵に回してでも闘う物語である。壁や海の向こう側では、正義と悪が容易に反転する。台湾やイスラエル、そして日本の状況を示唆しているように読める描写も少なくない。
次に、『ゴールデンカムイ』は、国民国家の黎明期、その周縁部で倭人、アイヌ、ロシア人などが入り乱れる物語である。中心(たとえば東京)はほとんど描かれないが、不在という形で常に意識されるような構造になっている。
最後に、『鬼滅の刃』である。鬼という国家の内なる敵と戦い続ける若者たちの物語だ。多大な犠牲の末、鬼は滅びる。最終話では、現代を生きる日本人が、名もなき若者たちの闘いの歴史の上に平和を享受していることが語られる。日本では、戦没者の鎮魂をめぐる施設や記憶がやや複雑で、素直に向き合いにくい現実がある。この漫画は、その代償というわけではないだろうが、平和の礎となって死んでいった者たちへの挽歌として終わっている。
かつて筆者が読んでいた漫画では、主に個人の闘いが描かれ、国家はほとんど前景化しなかった。ところが、2025年に読んだこれら3つの漫画では、主題は明確に国家であり、日本の現状を示唆している。人々がこうした物語を求めているという事実は、国家という主題が再び前景に現れはじめたことを意味するのかもしれない。それが良いことか悪いことか、これからの歴史が教えてくれるだろう。
岡村 毅(東京都健康長寿医療センター研究所研究副部長)[精神科医の視点][漫画][国民国家]