植松鉱治氏との出会いは、ロンドンオリンピックを1年後に控えた頃であった。体操選手にとって膝前十字靱帯は、跳馬の着地をはじめ、競技を支える“命綱”である。その靱帯を断裂した彼は、選手生命を脅かす大怪我を負っていた。当時、この怪我から1年以内に完全復帰することはきわめて難しく、復帰しても再断裂を繰り返す例が少なくなかった。
彼が所属していたコナミスポーツ体操競技部では、優秀なトレーナーの今井氏、中島氏をはじめ、加藤監督、森泉コーチ、佐藤コーチらが一丸となって選手を支えていた。その献身的な取り組みはのちに実を結び、リオデジャネイロ五輪では日本代表5名中、内村航平選手をはじめとする4名を同クラブが輩出するまでに成長した。