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【識者の眼】「対話とは何か①:わからないという立場」森川すいめい

登録日: 2025.12.03 最終更新日: 2025.12.08

森川すいめい (NPO法人TENOHASI理事)

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近年、日本においても「対話」という言葉が頻繁に聞かれるようになっている。その背景には、『平和』を維持することが、これまで以上に難しくなってきたという現状も一因ではなかろうか。

平和とは、一定の状態を「維持する」もの、すなわち状態を指す言葉である。一方、戦争とは具体的な「行動」を意味する。いかなる状態であれ、「維持」し「継続」することは容易ではない。争いのない状態を続けるためには、対話を継続するしかないのだが、現状、世界では50件以上の戦争や紛争が進行している。

では、対話とは一体何で、我々は「対話」という言葉をどのような意味合いで使っているだろうか。これにも明確な正解があるとは思えないが、過去の先人(ソクラテス、バフチン、レヴィナスなど)が問い続けてきたことは、大きな参考となるだろう。そこで、何回かにわけて「対話とは何か」について考察していきたい。

第1回目となる本稿では、「わからない」という立場について述べる。この立場は「他者性」と表現されることもある。「他者のことは決して理解し切ることはできない」「他者は常に私の想像を超える存在」といった彼らの言葉もこの文脈でよく使われる。だからこそ、人は「わかろう」として問いかける。

対話の立場を一貫して持つのであれば、この「わからない」という感覚を常に保ち続けることになる。これを逆の視点から考えると、「自分のことは自分自身でも見えない」という考えにたどり着く。自分自身を理解し切ることはできない。もう一歩進めて言うならば、「わかる」という状態は、時が止まったことを意味する。しかし時は止まることがない。実際には、自分の気持ちはこれまで、今、そしてこれから先も、様々な影響を受けて変化し続ける。たとえ自分自身のことを「わかった」と思ったとしても、それは刹那的なものであり、この先も変わり続ける。他者もまたそうなのだ。これが、対話の基本的な立場である。

互いに自分の想いを言葉にし、それを相互に受け取り、影響を受け合う。それどころか、自分が発した言葉ですら、自らに影響を及ぼす。対話をするとは、互いに影響が起こるということだ。相互に変化し、その上で新たな考えがやりとりされる。このプロセスゆえに、「答えがわかる」というところにとどまることはできない。もしどこかで時を止めてしまえば、それは対話の終わりを意味している。対話が止まるとは、「相手はこうだ」と解釈し、その解釈を「答え」だと決めつけてしまうことでもある。

そのとき、自分は何を準備するだろうか。相手を脅威と見なすことで、防御力を高めたり、先に攻撃したりすることもあるかもしれない。相手にとっても、こちらが脅威になっていくから、もし脅威となる相手と十分な対話ができていなければ、事態は悪化するだろう。

「わかる」は時を止める。「わからない」という立場こそが、対話を継続するための出発点となるという考え方である。

森川すいめい(NPO法人TENOHASI理事)[精神科][対話

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