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北岳テント泊登山/百名山登頂を断念/あきらめるということ[なかのとおるの御隠居通信 其の17]

No.5187 (2023年09月23日発行) P.66

仲野 徹 (大阪大学名誉教授)

登録日: 2023-09-20

最終更新日: 2023-09-19

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ひそかに日本百名山の制覇をめざしてたんですけど、このたび断念することに決定しました。そこへと至るきっかけと、あきらめるということの意義についてをば。

北岳テント泊登山

南アルプス・赤石山脈の北部に位置する北岳は、富士山に次ぐ高さを誇る標高3193メートルの山である。この夏、2年ぶりのテント山行に出かけることにした。テントや食料といった共同装備は私が担ぐという条件の下、妻と同行だ。

甲府発4時半のバスに乗って約2時間、登山基地の広河原に到着である。メインルートの草すべりを避け、ちょっと遠回りして八本歯のコルを経由するコースで、北岳山荘のテント場まで。コースタイムは7時間弱なので、6時半に歩き出して休憩を入れても2時半には着けるかと思っていた。しかし、その考えは甘すぎた。

これまでは、おおよそコースタイムよりやや速いペースで歩けていたのだが、体力が衰えているのか、大幅に上回ってしまい疲労困憊。北岳山荘に到着したのは4時過ぎという、登山にあるまじき時間になってしまった。テント場管理の山小屋の人は遭難を心配して携帯に電話をかけてくださったそうで、誠に申し訳ないことであった。

テントを張ろうとしたら、なんとポールに損傷があることが判明してがっくり。それでもなんとか設営して夕食をとる。疲れすぎたせいか、なかなか寝つけなかったけれど、4時半には起床。夜明けから日の出にかけての景色は絶景という言葉が及びもつかないような素晴らしさだった。

テントで2泊して、百名山のひとつである間ノ岳まで往復する予定にしていたのだけれど、意気消沈したため1泊で下山することに。それでも、帰路にちゃんと北岳の頂上まで行ったのは我ながら偉かった。自慢じゃないが、下り道ではどれだけの人に追い越されたかわからない。

百名山登頂を断念

2年の間にここまで体力が衰えているとは思いもしなかった。ふだんの生活では感じることがないけれど、ちょっとした負荷をかけないとわからんのだろう。知力や認知能力も同じようなもので、気づかぬうちにずいぶんと衰えてしまっているのかもしれんと思うと恐ろしい。たぶん、そうやし……。

最初に登った百名山は15歳の時、高校主催の槍ヶ岳登山だった。以後、細々と登り続けて、今回の北岳で46座になる。残り54座であるが、70歳までに登りきらないと厳しそうだ。残り4年とすると、年に13~14座になる。不可能ではないが、他のことをかなり犠牲にしないと無理な数字である。そこまでして挑む価値があるだろうかと考えると、答えはノーである。

思うに、山は登ることだけに意義がある訳ではない。モンブランに挑戦した時に知ったのだが、日本人は登頂に重きを置く傾向がずいぶんと強いらしい。頂上を極めなくとも美しい山を愛でながらのトレッキングなども同じくらいに楽しいのである。

登った百名山の一覧を見ると、北海道、東北、西日本は8割方制覇している。問題は、百名山の半数以上を占める関東甲信越の山だ。「関東」と「信」はまだしも、「甲越」は大阪からのアプローチが非常に悪い。むしろ東北や北海道のほうが飛行機を使えるから便利だったりする。

あきらめるということ

とかいうことを、眠れないテントの中で考え、百名山をあきらめようと決断した。その時、なんだか悟りを開いたような気持ちになった。疲れ切っていたし、空気が薄かったせいもあるやもしれぬが、本当に悟ったような気になった。

「人生時計」という考え方がある。今の年齢が、1日の何時ごろに相当するかを計算する。いつまで生きられるかわからないので難しいが、平均余命から考えると、現在の66歳は午後7時前に相当する。健康寿命は73歳くらいなので、午後9時前だ。となると、健康で楽しめる時間はあと2時間しか残されていないということになる。えらい短いがな……。

定年になったら時間が無尽蔵に湧いてくるような気がしていた。しかし、隠居生活1年あまりでわかったのは、それはとんでもない間違いだったということだ。百名山の登頂だけでなく、短歌の勉強、古典の読破、南米語学留学など、あれもやりたいこれもやりたいと思っていた。だが、実際に始められたのは家庭菜園での農作業くらいである。

悲しいかな時間は有限だ。しっかりと考えてやりたいことを取捨選択しないと後悔するに違いない。結論として、まずは海外のトレッキングに精を出すことに決めた。南米のパタゴニア、ヒマラヤ、ニュージーランドのミルフォードトレックなど、行きたいところはいっぱいある。なんとしても身体が動く間に行かねばならぬ。

老化は着々と進み、できることはどんどん限られていく。苦しかった登山でそのことがわかったのはよかった。負け惜しみを書いて今回は終わりにします。

 

仲野 徹 Nakano Toru
大阪市旭区生まれ。1981年阪大卒。2022年4月より阪大名誉教授。趣味は読書、僻地旅行、義太夫語り。『仲野教授の笑う門には病なし!』(ミシマ社)大好評発売中!

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