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【識者の眼】「老年病学のすすめ」島田和幸

No.5106 (2022年03月05日発行) P.57

島田和幸 (地方独立行政法人新小山市民病院理事長・病院長)

登録日: 2022-02-14

最終更新日: 2022-02-14

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「小児科学」が成人の医学とは別の学問体系として成立しているように、「老年病学」の存在意義は益々大きくなっている。たとえば、ADLや精神認知機能が低下した90歳の多臓器疾患の患者が、本人の意思を伺うこともできない状況で、生命維持のために経管栄養や胃瘻が造設され、さらにそれを維持するために病床で拘束されているという風景は、わが国の病院では決してめずらしくない。そこで、個人の意思が明らかであれば、このような事態が防げると考えて、国はアドバンス・ケア・プランニングを現代の人々に普及しようとしている。果たして一般人を啓蒙すれば済むことなのだろうか? 医療者自身も、高齢者特有の医学的根拠に基づいた医療を提供すべきではないだろうか。

1981年、私は33歳で開設期の高知医科大学に赴任、その後10年間「老年病学教室」小澤利男教授の薫陶を受けた。当時のわが国の高齢化率は9〜10%で7%を超えており、「高齢化社会」の仲間入りをした直後だった。その時、欧米は既に15%の「高齢社会」に達していた。老年病学も他の分野と同じく、欧米が先進国である。高齢患者の診療において、「病気よりも機能を重視する」というのが当時の欧米の老年病学の概念である。不可逆的に老化が進んだ段階において「長く生きる」よりも「佳く生きる」という発想である。そこから、高齢者総合機能評価などの手法が発達した。当時、私たちは米国の研究室から資料を取り寄せ、高知の住民や患者に対して応用を試みた。これは後に小澤教授が東京都老人医療センターに移って全国に拡がることになった。

振り返って、わが国の医学教育は「老年病学」をどのように位置づけているだろうか? 高齢化率が30%に達しようとしている今、遅きに失した感があるが、臨床医学の中で体系的な「老年病学」のカリキュラムが必須と思われる。アドバンス・ケア・プランニングのような医療・介護の社会的問題を扱うときも、医療者に高齢者の医学に関する一般的な知識・概念が備わっていることが必要ではないだろうか?あれから40年、団塊の世代の自分がそう思うのである。

島田和幸(地方独立行政法人新小山市民病院理事長・病院長)[老年病学][高齢者総合機能評価][医学教育]

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