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中国語の「結核」の翻訳の由来

No.5024 (2020年08月08日発行) P.54

福田眞人  (名古屋外国語大学世界教養学部学部長/教授,大学院国際コミュニケーション研究科)

登録日: 2020-08-09

最終更新日: 2020-08-04

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「結核」という病名の和訳の成立は3699号質疑応答「結核症の語源」(岩崎龍郎氏回答),3711号エッセイ欄「『結核』という訳語について」(中村昭氏)の記述でご教示いただき,「緒方洪庵,1857年」として了解しました。さて,中国語辞典にも「結核」は出ていますが,これは中国独自の翻訳なのでしょうか。それとも緒方洪庵の和訳が輸入されたものなのでしょうか,ご教示下さい。(広島県 K)


【回答】

【中国で「結核」が使用されるようになるのは、緒方洪庵の1857年の訳語が出てからであり、感染症の意味では、日本語経由で使われるに至った】

日本の幕末明治に多くの西洋語から訳された言葉(訳語)が,特に学問的用語として用いられた。それは,たとえば「自由」や「憲法」のように制度的に存在しなかったものを訳したものもあれば,「愛」のようにすでに仏教用語では存在していたが,新たに英語の[love]やドイツ語の[Liebe],フランス語の[amour]に対応する用語として採用されたものもある。たとえば,坪内逍遥の『当世学生気質』では、英語の[love]を訳しかねて、「ラブ[愛]して」等と表記する例もみられる。また,[I love you.]の気の利いた訳語はないものかと苦心した夏目漱石はあろうことか,「月が綺麗ですね」と諧謔の内にまだ根付いていなかった「愛」の感情を訳したとされる。

それでは,「結核」にはどのような来歴があるのか。

すでに中村昭氏が和訳の成立を1857年としておられるが1),その検討も含めて記してみたい。この医学用語「結核」に関しては,すでに王敏東による「醫學名詞“結核”小考」があり,参考になる。

「”結核”一詞在中国早已存在於包含伝統医書的多部典籍之中」の「包含」は「…を含む」なので,訳は「『結核』という語は,中国では,伝統的な医書を含む多くの典籍の中に早くから存在していた」となる。「雖然同様是医学用語,但其所指的乃是皮膚(表面)等処凸起如核之小結」の訳は,「(結核と)同じく医学用語だが,その指しているのは,(現在いう結核ではなく)皮膚の表面などに種のように突起した小さいできもののことである」ということになる。ふくらみというよりは,固くてこりこりした感じである(「核」とはもともと種のこと)。

すでに中国では古来様々な用語がこの病気(いわゆる結核)に用いられてきたと考えられ,その例は以下のようになる。
「屍疰」「轉注」「勞注」「勞疰」「蟲疰」「毒疰」「傳屍」「肺痿疾」「骨蒸」「伏連」「勞嗽」「急癆」「勞瘵」。

このほかに,漢代『金匱要略』では「虛勞」,隋代『諸病源候論』では「肺勞」等が使われた。さらに,『三因極一病證方論』『世醫得效方』『普濟方』『神農本草經疏』では「癆」が肺の病気を示している。また,『肘後備急方』『外台秘要方』『聖濟總錄纂要』『世醫得效方』『普濟方』等の書では「肺勞」が用いられている。

「結核」という用語が中国で使用されるようになったのは,日本を通して西洋医学を学ぶようになってからであることはほぼ疑いがない。それまでは,キリスト教宣教師等の著作の漢語訳(中国語訳)によって結核に対応する中国語を用いていたようである。ロンドン伝道会伝道師の合信(ベンジャミン・ホブソン)以来,漢語の医学書がたくさん上梓された。西洋医学を紹介した『醫學英華字釋』(1858年)では,「肺勞症」として訳出されている。それは,現在の「肺結核」と訳さずに従来の用語(「肺癆」や「肺勞」)に従おうとしたためかもしれない。

『英華字典』(1883年)では,今日の結核に当たる言葉として「癰核」「肺癰」を当てている。
20世紀になると,多くの新しい言葉が著作の中にみられるようになる。

「結核」(1902年吳汝綸『東遊叢錄・衛生圖說』,1906年涂福田『東瀛見知錄』,1919年湯爾和譯『診斷學』など),「結核病」(1907年孫佐譯述『生理衛生新教科書』,1916年『新青年』第2卷第4號李亦民「歐美人種改良問題」など),「肺結核」(1904年蕭瑞麟『日本留學參觀記』卷上) 等の例がみられるが,これは当時台湾が日本植民地施政下にあったためであり,漢文で発行されていた新聞『臺灣日日新報』(1905年10月5日) 等でも「結核」の用法がみられる。

而對我國醫學術語貢獻極大的《高氏醫學詞彙》〔1939年(第九版)〕對tuberculosis 採“(肺)結核”與“癆(病)”兩者併用的中譯方式

つまり,学問(文化)は高きから低きに流れるの喩えの通り,かつて中国(朝鮮)から日本へ漢方医学,仏教医学として伝わったが,やがて西洋医学との接触により,一気に日本が漢方医学から西洋医学(その前にオランダ経由の南蛮医学があったが)へ主軸を変えたように,中国でも,西洋医学の影響下にあった日本の知識,用語を受け入れるようになったのである。それは,中国が日本へ送出した留学生の多さにもみられることである。一時その数は10万人を超え,第一高等学校(現在の東京大学教養学部)の4つの寮のうちの1つが中国向けであったことからも,その規模が知れる。
*真柳誠・茨城大学名誉教授にご教示を戴いた。深謝。

【文献】

1) 中村 昭:日本医事新報. 1995;No.3711:58.

【参考】

▶ 王 敏東:醫學名詞“結核”小考.
[http://www.huayuqiao.org/articles/yuwenjian shetongxun/8305.htm]

▶ 福田眞人:結核の文化史. 名古屋大学出版会, 1995.

▶ 福田眞人:結核という文化. 中央公論社, 2000.

▶ 富士川 游:日本医学史.

▶ 富士川 游:日本医学史大綱.

▶ 岩崎龍郎:日本医事新報. 1995;No.3699:137-8.

【回答者】

福田眞人 名古屋外国語大学世界教養学部学部長/教授, 大学院国際コミュニケーション研究科

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