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【識者の眼】「専門家会議の突然の解散から思う、日本の政治における責任のあり方」堀 有伸

No.5020 (2020年07月11日発行) P.63

堀 有伸 (ほりメンタルクリニック院長)

登録日: 2020-06-30

最終更新日: 2020-06-30

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日本という国家のシステムは、きちんとした責任を取れない状態に陥っているのではないか、そしてそれは、危機的な問題なのではないかという不安を、私は時々感じます。6月24日、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部の下に設置されていた専門家会議の廃止が、西村康稔経済再生担当大臣によって表明されたニュースを聞いた時に、その不安が高まりました。

新型コロナ感染症への対策を考える時に、「感染制御を優先させるのか、経済活動を優先させるのか」という難問についての二者択一を迫られるような場面が多いことが、明らかになってきました。その中で専門家会議は、経済活動を停滞させることになっても、「感染制御を優先させる必要がある」ことを日本人に納得させる上で、大きな役割を果たしてきました。今年4月7日に政府が緊急事態宣言を発令した時に、「人と人の接触を8割減らすこと」を目標として国民に呼びかけました。この時点では、政府と専門家会議の姿は、一体であるかのように国民には感じられていました。

しかし、そもそも専門家会議の位置づけは、どのようなものだったのでしょうか。本来の科学者の責任は、自分の専門領域に基づく科学的な知見を伝えることです。実社会は複雑ですから、複数の専門家の意見が矛盾することもありえます。そこを総合的に判断する責任は、政治にあります。しかし、政府と専門家会議の関係があいまいなままで、専門家会議が日本政府の新型コロナ対策を主導しているような印象を与えました。そのことに専門家会議の先生方が気付き、「政府との関係性を明確にする必要がある」と提言しようとしたことの先手を打つような形で、政府が会議の廃止を表明した経緯となりました。

残念ながら、「国民の一定数以上が反発を感じる意志決定や実行は、政府の中の人間が行っていないかのように印象づける。そして、用が済めばその人々が影響力を発揮しないように切り捨てる」という方法を、日本の為政者は好んでいるように思います。他にたとえば、原子力発電や精神科の入院医療が「国策民営」で、電力の事業者や民間の精神科病院が主体的に行っているかのように見なされやすい事象にも現れています。これが、無責任さが許容される温床の一つだと考えます。

堀 有伸(ほりメンタルクリニック院長)[新型コロナウイルス感染症]

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