第二次世界大戦末期、九州F市にある大学病院で行われた米軍捕虜の人体実験は、当時の心理状態からどうしても参加せざるをえなかった主人公の医師勝呂のその後の人生において、常に頭から離れることのない“人生の問い”として思い起こされていく(遠藤周作 著、新潮社、1958年刊)
この小説を読んだのは、1970年秋、津田沼発中野行き総武線上り電車の中だった。夕陽が眩しい“読書の秋”の始発電車の暖かい座席が思い出される。当時20歳、医学部2年生で教養課程の自由気ままな学生生活を送っていた頃、1時間半の帰り道の暇つぶしと思って読み始めたものだ。
このわずか160頁足らずの小説は、臨床医学開始前の“医者のたまご”にとって、まだ解剖実習を経験していない自分にとって、ショッキングだった。神聖であるべき医学に、もうすぐ自分が飛び込もうとする時期だった。父からは、第二次世界大戦中の軍医としての経験や、激戦地ニューギニアでの病気と飢餓、そして人が殺し合う戦争という特殊体験、引き揚げ船「氷川丸」で終戦1年後の夏に帰還したことを聞いた。そんな時期の出来事だ。
医師とはいかなる職業か、医学とはいかなるサイエンスか、そして日本人とはいかなる人間か、を考えさせてくれた。
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