株式会社日本医事新報社 株式会社日本医事新報社

CLOSE

【識者の眼】「パンデミックの海で②─2500名を逃すのか、匿うのか」櫻井 滋

No.5161 (2023年03月25日発行) P.58

櫻井 滋 (東八幡平病院危機管理担当顧問)

登録日: 2023-03-09

最終更新日: 2023-03-09

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

あの日(2020年2月11日)、私は岩手県庁での会議に出席したその足で、日本環境感染学会(JSIPC)の学術集会に出席するため、急ぎ横浜に向かおうとしていた。ふと携帯を見るとメール着信があった。横浜港に停泊している船の感染対策について厚生労働省が相談に乗って欲しいと言っている、というJSIPC経由の非公式依頼であった。数日前からテレビニュースやネットを騒がせていた、あのクルーズ船だとすぐにわかった。

我々が招聘されたのは、いったん減少するかに見えた船内の感染確認者数が再び増加に転じた時点であった。乗船客は、発症者を含めて感染状況はおおむね把握されていたが、乗務員に関しては、感染の確認よりも乗船客のための業務が優先されていた。もちろん明らかな発症者は隔離されていたが、潜伏期の乗務員から感染拡大するリスクがあった。本来ならば、乗務員は真っ先に感染症の存在を否定した上で業務に当たるべきである。

しかし、ことはそう簡単ではなかった。仮に船外から新たに乗務員を確保し、現に乗務している乗務員を検疫するにせよ、その数は短期間で総入れ替えできる数ではない。操船を担当する船員を含めてこれら乗務員数は1000名以上になるからである。一方、乗船客全員を直ちに下船させて他の場所に逃し、検疫を行うとしても2500名を超えるからである1)

逃すのか、匿うのか。果たして誰がこのきわめて困難な問いに即答できるのか。

現実問題として、既に検疫作業に従事していた検疫官をはじめ、報告を受けた厚生労働省の担当官、国内で最も感染症に精通していると考えられる国立感染症研究所の職員の誰もが、即座に明快な解を導き出すことは不可能だっただろう。集団感染症では、判断と手続きに時間を取られればとられるほど、感染者が増加し、最終的には集団全員が感染する事態に至る。それは天然痘であろうとチフスであろうと、コレラや赤痢であろうと同じである。

すなわち、クルーズ船は埠頭に接岸しながらも絶海の孤島と化し、誰も逃れることができず、誰も国内に匿うこともできなかったのである。このような課題に対処するためには、単に患者を国外に排除するという発想ではなく、現地で行う機動的な「感染制御(Infection Control)」の概念が必要なのである。(続く)

【文献】

1)山岸拓也, 他: IASR. 2020;41:106-8. 
https://www.niid.go.jp/niid/ja/typhi-m/iasr-reference/2523-related-articles/related-articles-485/9755-485r02.html

櫻井 滋(東八幡平病院危機管理担当顧問)[新型コロナウイルス感染症][ダイヤモンド・プリンセス号]

ご意見・ご感想はこちらより

関連記事・論文

もっと見る

関連書籍

もっと見る

関連求人情報

関連物件情報

もっと見る

page top