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【識者の眼】「妊婦とは、妊娠している女性である」中井祐一郎

No.5000 (2020年02月22日発行) P.54

中井祐一郎 (川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)

登録日: 2020-02-20

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冒頭から、当たり前のことをさも勿体ぶって表題にするのは申し訳ないが、これには訳がある。超音波検査の進歩により、胎児の医学的評価が可能となって半世紀近くになった。“fetus as a patient”と華々しく語られた往時であるが、それは望ましい世界を導いたのだろうか?

胎児がヒトとして扱われるようになったこと(生存権を射程に含む「ヒト化」であって、人格を認める「人化」とは異なる)によって、妊娠女性には胎児を守ることが義務として押し付けられたのではないか?

厚生労働省が推進する「健やか親子21」の一環として「マタニティ・マーク」が策定されたように、社会は妊娠女性に優しい。しかし、妊娠という負荷によって、ヒトという生物の中で身体的に虚弱であることから保護対象とされたのではなく、「妊娠・出産に関する安全性と快適さの確保」が目的として明示されていることから、子を生むことを前提とした保護であると考えざるを得ない。これは、「あなただけの身体ではない」という語り尽くされた言葉と同質であるが、“fetus as a patient”の概念は妊娠女性における胎児保護義務を強化したと言えるだろう。

だが、私たちの前に現れる妊娠女性は、胎児の保育器という「モノ」ではない。妊娠によって心身に変調をきたしたり、妊娠に対して必ずしも肯定的とばかりいえない様々な想いを心に抱いたりしている生活者である。

医療者の中には、胎児への影響が判らないという理由で投薬や治療を渋ったり、胎児リスクを含めた自己決定を強要したりする者も皆無とは言えないだろう。だが、妊娠していようが、心身の変調に苦しみ、思い悩んでいるのは、医療者の眼前にいる女性自身である。「母体」は勿論、「妊婦」という言葉も、妊娠しているとはいえ、生活者である女性という立場を無視してはいないだろうか?

医療者は、「妊婦」ではなく、(妊娠している)女性を診なければならない。そして、寄り添わなければならない。

中井祐一郎(川崎医科大学産婦人科学1特任准教授)[女性を診る]

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