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高野長英(7)[連載小説「群星光芒」171]

No.4758 (2015年07月04日発行) P.74

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-15

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  • 高野長英の門人松下寿酔は浜松藩主水野忠邦の家来だった。遠州の鉄砲鍛冶屋に生まれ育ち、西洋銃の製法を研究していたところから忠邦の長子水野忠精に取り立てられた。まもなく長英の『大観堂』に入門して西洋兵学を学んだ。

    元服を終えた若殿の忠精は蘭学に興味を抱き、家来の寿酔から洋式兵術の手ほどきを受けた。

    寿酔は小兵だが肩幅の広いがっちりした体つきの中年者だった。篤実な人柄で長英の信頼も厚く、長らく『大観堂』の運営にかかわった。息子の健作も陰日向のない誠実な若者であり、少年時代から同年配の忠精のよき遊び相手として仕えた。

    内田弥太郎の要請をきいた寿酔は「ようござる」と角ばった顔をほころばせて肯いた。

    「知合いの借家が麻布藪下にあります。長英さんのご家族はそこに匿いましょう。ただし大勢でうごくと怪しまれます。わしと健作だけで奥様方を借家まで案内しましょう」と請け合った。

    ほどなく長英にも奉行所の召喚状がおりた。『戊戌夢物語』を著して公儀の「異国船打払令」を誹謗したと評定所の怒りを買ったのだ。

    だが長英は出頭しなかった。昼間は佐藤泰然の医院の物置に隠れ、夜になると出てきて後事を託す指図書を作成した。

    渡辺崋山が入獄して4日後の5月18日、またもや甥の信四郎が弥太郎の『宇宙堂』に駆け込んできた。

    「長英さんが北町奉行所に自首して投獄されました」

    事件はそれだけではなかった。崋山の親密な協力者だった岸和田藩医の小関三英が自宅の2階で頸動脈をランセッタ(尖刃刀)で斬り裂いて自決したのだ。

    三英は崋山が逮捕された3日後に早くも自害を決行しており、家人は5月23日に自裁したと届け出たのだった。

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