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小関三英(11)[連載小説「群星光芒」164]

No.4751 (2015年05月16日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-20

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  • あなたは遺言らしいものをなにも残さず逝ってしまいました。しかもランセッタによる自刃という旧来とはまったく異なる手法でこの世を去りました。

    おそらく「切腹は罪ある武士の所業なり」と断じて無言のうちに「我に罪無し」と告げようとしたのでしょう。そこには余計な言葉を残して家族や友人に迷惑がかかるのを避けようとしたあなたの心優しい配慮があったのかもしれません。

    しかし、なぜあなたは残された奥様や親類縁者が苦しむことを慮らなかったのでしょうか。自殺は目に見えぬ刃物で遺族に深い傷を負わせる非情な行為です。

    がまん強く弱みをみせない奥様が血まみれの無残な遺骸を前に、なぜ自決を察せられなかったのかと胸も張り裂けんばかりに嘆かれたとのことです。一時は三英さんに見捨てられ置き去りにされたと思い、怒ったり憎んだりもなさったそうです。

    あなたが自決された翌日、身を隠していた高野長英殿が北町奉行所に出頭して縛につきました。同じ蘭学者ながら長英殿は三英さんのように地味で堅実な方とは肌合いが違います。長英殿は生命力のかたまりのような人で、あらゆる手段を講じて無実を立証し、志を遂げるまでは断じて生き延びようとなさっています。

    三英さんも己れの信じる「フレイヘイド(自由)」なるものを世に広めて人々を啓蒙するお役目を遂げてほしかった。それこそ渡辺崋山様が絶賛なされた「デモクラチイ(民主主義)」なる高邁な思想に辿りついた賢人の果たすべき務めではないでしょうか。

    ひとつ不幸だったのは、ずば抜けたあなたの才能を尊敬するあまり、だれもあなたを一喝してこの世に引き留める人物が現れなかったことです。それであなたはあっさりとあの世へ旅立ってしまった。なんとも惜しいじゃありませんか。

    あなたのような確たる信念をもたぬ臆病者のわたしは、たとえ御政道に山ほどの理不尽があろうとも、それが世の掟とあらば、せいぜい逆らわぬように生きていくほかありません。

    残り1,566文字あります

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