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【識者の眼】「風に吹かれて」早川 智

No.5100 (2022年01月22日発行) P.63

早川 智 (日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)

登録日: 2021-12-21

最終更新日: 2021-12-21

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洋楽の懐メロに「風に吹かれて」(Blowin’in the Wind)という曲がある。2016年にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランの作だが、1960年代にピーター・ポール&マリーのカバーが大ヒットしアメリカ公民権運動の賛歌となった。「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」という歌詞は反戦歌、自由の賛歌として様々な国語に翻訳され、現代でも愛唱されている。

今回は風に吹かれて、性を捨てた生物の話。ヒルガタワムシ(Bdelloid rotifer)という目立たないプランクトンがいる。水たまりや小さな湧き水に生息し稚魚や昆虫の幼虫、大型プランクトンの餌となる。この動物の特徴は性を持たない単為生殖で、5000万年以上生き続けてきた点にある。一般の生物にとって有性生殖は繁殖の手段であるほか、有害な突然変異を除去するとともに寄生虫や病原体との共進化を促進するため、あるいはその両方であると考えられている。

多くの生物で最も脅威となるのは細菌やウイルスなどの感染症であり、生物が有性生殖を止めてゲノムが固定されると、進化競走で敵対する種に制圧されてしまう。ヒルガタワムシは菌類など寄生生物の脅威にさらされると自ら干乾し状態になり、風に吹き飛ばされるのを待つ。吹き飛ばされた先で、水に接すると復活することができる。コーネル大学のウィルソンとシャーマンは、実験的にこれを検証した。実験自体はきわめて単純なもので,ヒルガタワムシとこれを宿主とする真菌を共飼育すると、自然状態ではヒルガタワムシが全滅するのに対し、乾燥させると、ヒルガタワムシのみが生き残り、真菌は死滅したというもの。さらに乾燥状態ではきわめて軽く、新たな環境を求めて風によって最大数千kmも運ばれることが可能となる。

現在、性の進化的起源を説明する「赤の女王モデル」では、宿主/寄生体の相互関係は、感染抵抗性の異なった多様な子孫を持つ生物に有利に働く。しかし、感染症に脆弱な宿主でも感染リスクのない生息地に分散できる状況では、無性化が維持できる。つまり、風に吹かれて移動する宿主は性行為のコストを回避しながら、敵を「出し抜く」ことつまり、「逃げるが勝ち」になる。有名な進化生物学者ジョン・メイナード・スミスは、ヒルガタワムシのことを「進化のスキャンダル」と呼んだが、性とは別の手段で外敵から身を守る手段が「風に吹かれて」だったのである。

早川 智(日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授)[進化生物学]

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