認知機能は,大脳の機能を総動員して形成される高度な中枢神経機能です。ましてや高等動物であるヒトの認知機能を科学的に解析し,その障害―たとえば認知症―を改善させる戦略というのは,単純に語れるものではないということは,容易に想像できることでしょう。ヒトの認知機能は,環境,情緒,意識レベル,内科合併症などにも容易に左右され,蜃気楼のようにつかみどころのないものです。
「この症候があれば,あの脳部位の障害である」と数学のように割り切れる場合も多い神経内科学からみれば,認知症は“泥沼”のような世界に映るかもしれません。精神科学からみれば,「若い精神疾患患者は,ドパミンを少し抑えたりセロトニンを補ったりすれば社会復帰できるけれども,神経細胞が日々激減していく認知症をどうやって治せというのか」ととらえられるかもしれません。
こうした発想で認知症をみた場合,「困惑」と「絶望」しか感じられないという悲劇が起きるのではないかと筆者は非常に危惧しています。認知症という新しい疾患が,医学,福祉,社会で問題化してきたときに,「認知症学」はまだ存在しませんでした。そして今も完全ではありません。
認知症を代表するものがアルツハイマー型認知症(ATD)であることは間違いないでしょう。患者数が多く,ドイツ病理学による確たる診断基準とアミロイドカスケード仮説から導かれる治療戦略により,ATD学だけはようやく“泥沼”から学問の体裁を整えてきました。病理学,生化学,薬理学がようやく認知症への治療戦略に向かって走り出したのです。
ところが,この10年でレビー小体型認知症(DLB)と前頭側頭葉変性症(FTLD)が増え,双方合わせて認知症の約35%を占めるに至った現状において,誤診や医療過誤が目立つようになり,ATDの研究だけでは事足りないことが鮮明になってきたと思います。
現実的な問題点として,13年間わが国のATD治療薬を独占してきたドネペジルがこれら新勢力の認知症患者に安易に投与された場合,多くの弊害(歩行障害,激越性)を生むことが顕在化しつつあります。
一方,期待された新薬であるガランタミン,リバスチグミン,メマンチンの副作用は複雑なメカニズムから起きており,認知症の大脳で不足しているのはアセチルコリンだけではないということや,各種の神経伝達物質(NTM)はお互いがバランスを取り合っているということに気づかされました。
ドネペジルによる歩行障害やメマンチンによる傾眠は,このNTMのインバランスのために生じていると理解されます。高齢者の脳内NTMは複数が低下しているために,化合物が過剰に投入されると,補充されていないほうの物質が相対的欠乏を生じて,一種の薬剤性パーキンソニズムや神経伝達の障害を起こすリスクが非常に高いという現実があります。
高齢の認知症における薬剤の有用度は,用量依存性でなく釣鐘状反応性であると考えたほうがよく,中核薬4成分の「増量規定」は根本的に誤りであることに気づかされるのです。
老衰と疾患は,明確に線引きできるものではなく,また合併もしています。加齢でもNTMは減っているのですから,一般的に疾患と認識されていない不定愁訴にも中核薬の常用量の1/3程度が奏効する可能性があります。加齢と疾患の境界領域に多くの高齢者が位置しており,本人に苦痛が起き,生活に支障が出た場合を便宜上疾患としているだけで,実は明確な境界などありません。認知症のごく初期における中核薬常用量は多すぎであり,副作用の可能性が高まります。
薬物の脳内濃度は血中濃度と相関するとは限らず,半減期から副作用の持続時間が推定できるものでもなく,また患者の個人差(年齢,人種,性差,感受性)もあまりにも大きいようです。ここには従来の薬理学が太刀打ちできないものがあります。また神経内科学,精神科学で言われる「効くまで増やせ」の法則もマッチしません。
このように考えると,各薬剤の用法用量が,いかに思慮に欠けたものであるかがわかります。患者の身体と対話して,処方量を自身の裁量で加減するのが臨床医であり,漢方医学は数千年前からそれを実行してきました。私たちはこのさじ加減の技術に大いに学ぶべきです。高齢者への投薬にマニュアルなどなく,患者個々で加減することが求められます。
話を診断に戻しますが,病理学の「認知症責任疾患は非常に重複しがちである」との報告を考えるとき,果たして脳血流シンチグラフィが鑑別診断の王道たりうるのかという疑問が生じます。現に多くの患者が病院で脳血流シンチグラフィをはじめとする精密な検査を受けたにもかかわらず誤診されています。
ATDワクチンが未完成である現時点においては,臨床における治療の標的は患者のoutput(能力,周辺症状)であってsource(病理組織)ではないのです。ATDだからアセチルコリンを補えばよいという薬理学的発想は,介護の世界には通用しないどころか,薬の興奮性などの副作用によって迷惑な結果を生むことが無視できません。
コウノメソッド(筆者の提唱する認知症薬物療法マニュアル)の処方哲学である「介護者優先主義」は,介護の本質を見きわめた治療戦略を構築しており,介護の現場や家族から高い評価を受けています。介護者を救わなければ患者も救われません。この戦略において言い切らなければならないことは,臨床医は病理学,薬理学の奴隷になる必要はない,ということです。
今日まで各科が中途半端につくりかけている認知症学はいったん置いておき,介護者のための処方,治療のための診断という発想で組み立て直す必要があったのです。
筆者は120年以上にわたって築き上げられてきた認知症病理学を軽視するわけではありません。ただ,20年ほど前にマンチェスターグループが前頭側頭葉変性症(FTLD)の分類の一部(失語症候群)を病理組織と切り離して臨床症状だけで患者を分類することに決めたという激震もあり,このことが認知症という学問に一石を投じたことは確かです。
この発想には学ぶことも多く,筆者がこのたび「臨床認知症学」という1つの処方理論を構築するにあたって大きな勇気を与えてくれました。
筆者が今考えていることは,「介護者が評価する治療成果を出すこと」「現場の医師がパニックにならずにスムーズに処方方針を立てられること」を二本柱とした理論体系(コウノメソドロジー)を構築することです。
筆者は,本書をエンサイクロペディア(あらゆることがもれなく書いてある本)にするつもりはなく,読者の心に何らかのインパクトが残る本にしたいと思っています。「こんなメッセージが書かれた医学書は読んだことがない」「本の内容を忘れることができない」「アンダーラインで真っ赤になってしまった」「人生観が変わってしまった」「後輩の医師にも勧めたくなった」といった強い印象が,読後に残ってほしいと願っています。
ですからここで,あらかじめ読者に伝えたいことを先に4つ述べておきます。認知症診療における大前提となる事柄です(図1 *web上省略)。
1.患者や家族に迷惑をかけない
中枢神経系の処方薬は副作用が必発です。ですが,副作用をできる限り軽度に抑え,改善の方向へもっていく努力をして頂きたいと思います。
2.肘の歯車様筋固縮を診る
高齢者は,パーキンソン病関連疾患がなくても,加齢に伴って脳内ドパミンが低下してきています。向精神薬はすべてがドパミン阻害薬と言っても過言ではありません。ですから,ドパミン欠乏を最も反映する肘の歯車様筋固縮(肘の他動的屈伸を行った際に,歯車のような間欠的な抵抗がみられること)の有無を,診察のたびに診る習慣を身につけて下さい。すなわち,患者の身体を触ることを励行してほしいのです。精神科医にもぜひ実践してほしいと思います。
3.画像診断を過信しない
CT画像上で脳萎縮を起こしている部位では,脳血流が低下していることは明らかです。わかりきったことのために,高額な検査である脳血流シンチグラフィ(SPECT)を行うことは控えたいものです。
レビー小体型認知症を確診するためにMIBG心筋シンチグラフィを行うことは有用です。しかし,それで診断を確定できたあとに,さらにSPECTを追加するのは検査過剰です。信頼性80%の検査のあとで,信頼性60%の検査を加えても意味がないのです。
また混合型認知症にSPECTを行っても鑑別には役立ちません。患者の診察やCT所見を確認する前にSPECTをオーダーするのは控えて下さい。患者のためではなく,医師自身の不安を払拭するために高額医療を行うようなものです。認知症は,CT検査,血液検査以外のほとんどの検査が不要な疾患です。
4.認知症とて,症状は改善する
認知症であっても改善可能な症状があります。診断に費用をかけた以上は,必ず何らかの改善をさせて下さい。
この4点が臨床医へのメッセージです。
2002年には149万人であった認知症患者は,10年で倍増し400万人を超えました。「新オレンジプラン」では,2025年には認知症患者数が700万人前後になると推計されています。1日も早く1人でも多くの臨床医が認知症診療を開始しなければならないという危機感を感じています。
コウノメソッドの理論体系は患者の改善が最優先されるシステムであり,診断は治療のためになされます。単純に語れない疾患への処方理論をなるべく単純に語れるように,また納得して処方できるように構築しているつもりです。ぜひ本書を活用して,認知症診療を始めて下さい(図2 *web上省略)。
2015年9月 著者