東日本大震災の1年前に創設が提言された日本医師会災害医療チーム「JMAT(Japan Medical Assosiation Team)」。研修カリキュラムなどを検討している最中に発生した未曽有の大災害にどう対応したのか。
自身も福島県いわき市で被災し、日医の救急災害医療担当としてJMATの名付け親でもある石井正三常任理事に話を伺った。
JMATは日本医師会がかねて大規模災害に備え構想してきたもの。災害発生時から地域の医療機関に橋渡しするまでの支援が主な役割となる。東日本大震災の1年前、2010年3月10日に創設が公表されたばかりで、震災直前まで研修カリキュラムなどを検討していた段階だった。
JMATを派遣するまでの流れは、災害が発生すると都道府県に災害対策本部が設置され、そこに災害対策基本法の「指定地方公共機関」である都道府県医師会が参加する。被災地医師会から支援要請があった場合、被災地外の医師会ごとにチームを編成し、派遣する形をとる。チームは医師1名、看護職員2名、事務職員1名で構成するのが基本形だが、薬剤師や理学療法士、栄養士などを含め、職種や人数は現地のニーズに合わせ柔軟に対応する。
ポイントは医師のプロフェッショナルオートノミーに基づく手挙げ方式でチームが編成され、要請に基づき必要なところに派遣されるという点。被災地のコーディネート機能の下に入り、診療行為だけではなく避難所で公衆衛生対策なども行い、主に急性期以降の対応を担う。1チームの派遣期間は3日から1週間程度がメドで、その間の交通手段や寝食の手配などは自己調達が原則だ。
3月11日の発生を受け、16時には日医に災害対策本部を立ち上げた。私はいわき市の自宅で被災したが、周囲の状況を把握して「これは大変なことになる」と、何とかつながった電話で災害対策本部の設置を提案した。
15日にはJMATの結成・派遣要請を全国の医師会に発出し、合計1398チーム延べ6054名を派遣した。3月25日から5月22日までの2カ月間は常に60チーム以上が被災地にいる状況で、発災1カ月後の4月10日には100チームに上った。今回の震災では、病院団体や薬剤師会も参加してくれたのでチーム編成が充実したものになった。
JMATが撤退したのは7月15日。派遣期間は決まっていないが、撤退するのは「地域医療が自立して立ち上がれるメドがついた」と判断した段階になる。茨城では県医師会との協議の上、3月末で派遣を止めた。
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