著者は、昭和20年に佐久に赴任し、地域住民の生活に密着した医療と研究を実践した。小さな医療機関でしかなかった佐久病院を800床規模の佐久総合病院に育て上げるとともに農村医学を確立。その軌跡をあまねく描いた一冊(若月俊一著、岩波新書、1971年刊)
本書に出会ったのは、昭和46年、私が医学部5年生のときであった。良き臨床医になり、地域の患者さんを助けたい、と思っていた私は、病気つめこみの医学部の講義や実習にあきたらず、医師になるという目標すら失いかけていた。
若月先生は、戦争末期、東大外科の大槻菊男教授(虎の門病院初代院長)の勧めで佐久病院に赴任したが、「きたりっぽ」と呼ばれるよそ者扱いの中、「こう手」(農繁期に多発する急性腱鞘炎)や「冷え」「農夫症」など、地域住民の生活に密着した医療と研究を実践されたことに、大変感銘を受けた。先生は農夫症について、「これらの症状群が、真に農民に多発していることが証明されるならば、そのこと自体が問題であって、その理論的解明は二の次であっていい」と述べているが、これはまさに老年医学における老年症候群の考え方である。
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