No.5022 (2020年07月25日発行) P.60
南谷かおり (りんくう総合医療センター国際診療科部長)
登録日: 2020-07-10
最終更新日: 2020-07-10
自国での事故の後遺症で眼瞼下垂のあるイスラム教徒のスーダン人男性。来日して日本の工場で働くことになったが、見えにくいと仕事がし辛いため、治療目的で当院の形成外科を受診した。患者は英語が話せたので、当院の英語医療通訳者が同席して通訳した。数回の通院には1〜2人のbrotherが毎回付き添い、そのうち1人は日本語が話せたが通訳レベルではなかったため、時々医師に日本語で尋ねたり、患者とは母語で話したりしていた。医療費も患者の持参金が足りなければbrotherが3万円支払うなど、家族で助け合いが当たり前の文化かと思っていたら、毎回違う同伴者でも誰もがbrotherと呼び合っており、実は皆同じ職場の同胞なだけで、本当の兄弟ではないことが後に判明した。
手術日にも1人のbrotherが来院し、治療は問題なく終了した。その後、医師が診察室で患者に注意事項を説明した時にbrotherがあることに気づき、医師に質問した。「イスラム教徒は1日5回お祈りをするが、毎回事前に顔や足などを綺麗に洗って清めなければならない。瞼を縫っているのだから、顔は洗わなくてもいいですか?」。この質問に対して医師は「こすらなければ普通に洗っても構いませんよ」と答えたのだが、brotherは驚き、とっさにがっかりしたような表情になった。
イスラム教には色々と禁止事項があり守らなければ罰則を科されるイメージが強いが、多くの場合は各自の信仰心に任されており、信仰の度合いにより規定を緩めることができる。しかし、敬虔なイスラム教徒の場合は自己判断で戒律を破ることは罪悪感につながるため、なかなか自分では決められない。でも、例えば日中の断食(ラマダン)は子供や妊婦には健康被害を及ぼす危険性があるため、実は行う必要はない。brotherは、どうやら医師が「顔を洗わなくてもよい」と言ってくれることを期待したのに、当てが外れたようだった。医師は患者の宗教を尊重したつもりだったのに、彼らは逆を望んでいたのだから、異文化交流はやはり難しい。
南谷かおり(りんくう総合医療センター国際診療科部長)[外国人診療]