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【特別企画】日野原重明先生を偲ぶ リーダーシップが試された地下鉄サリン事件

日本医事新報 No.3706(1995年5月6日発行)掲載

聖路加国際病院サリン患者診療報告会から〔抜粋〕

日野原重明(聖路加国際病院院長)


 〔1995年〕3月20日午前8時半、幹部会の会議中に消防署から地下鉄での大爆発事故があったとの報が当院救急センターに届き、8時40分には院内放送で救急センターへ医師集合の要請がなされた。私がセンターに降りた時、多数の医師が既に救急患者を迎えに入っていたが、相続く救急車の患者搬送をみて、私はここで多数の患者の入院に対応するために陣頭指揮をした。救急センターの配置医は3名の心肺機能停止患者の蘇生処置に専念していたので、櫻井〔健司〕副院長には患者の振り分け(トリアージ)の指揮を命じ、専任事務職をつけ、外来診療は中止の掲示を出し、麻酔のかかった手術患者を除く予定手術の中止指令を出した。

 三上〔隆三〕副院長と、井部〔俊子〕副院長(看護部長)には、続々入院する患者の病棟受け入れ方指揮の責任をとってもらった。松井〔征男〕副院長には、瞳孔縮小を招くガス中毒の原因、これへの医療処置の方針作成を指示した。大生〔定義〕神経内科医長は、早速中毒原因追究のため図書室に走った。最初はアセトニトリル検出が報じられたが、10時頃に自衛隊中央病院青木〔晃〕医師ほか医師1名、看護婦3名の応援があり、サリン中毒を強く疑う情報を提供され、信州大学付属病院の柳澤信夫院長からサリン中毒支持の電話があり、その後、松本市でのサリン中毒の対応処置書がFAXで送られてきた。サリン中毒と判明の直後、院内治療方針マニュアルが作成・配布され、患者が不安にならぬよう「ミニかわら版」が配られた。午後5時には東京都から40台の仮ベッドが貸与された。看護には勤務明けを含めて、日勤ナースおよび看護助手、ならびに看護大学教職および学生が参加した。

 第1日目の収容患者総数は640名、そのうち110名が入院した。

 当院は、医師129名、レジデント36名、看護婦477名、看護助手68名、ボランティア平均1日30名の多数の人員を持つ。この事件が始業時刻に一致して起こったことで、救援人員に不足はなかった。

 また、本院の構造は災害時への対応が考えられての病院設計であり、スペースが広い上に、礼拝堂、ラウンジ、廊下の壁の中にも酸素や吸引用の配管がなされていたことが、災害時に役立ったといえよう。本院は病床1床につき115㎡の広い空間を持つが、これは他院に倍する広さであり、定床520床以外にすべての空間を用いると285名の患者を臨時に収容できる設備を持っていたことが今回の患者収容を円滑にした原因の一つと思う。一方、病院職員の非常時の対応がよかったことは、阪神大震災の医師・看護婦のボランティア派遣の実績や、全館停電した時を予想しての1年2回の訓練などを通して、職員が非常時に結束して働く意識の強かったこと、さらに、外部からのタイミングのよい情報提供や内外からの様々の情報提供の援助があったことのおかげで、当院がつつがなく地域病院の務めを果たすことができたことは感謝である。


※表記は掲載時のまま。人名の一部を〔 〕で補いました。

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