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震災後の福島を見つめる ─ 耳鼻咽喉科医の立場で [OPINION :福島リポート(20)]

No.4774 (2015年10月24日発行) P.15

松塚 崇 (福島県立医科大学耳鼻咽喉科学講座)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-02-09

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  • 震災当日

    2011年当時、私は金曜の午後に医療協力で太平洋岸から4km程離れた南相馬市立総合病院へ赴き、耳鼻咽喉科外来診療に携わっていた。3月11日も同院で外来診察中に東日本大震災に遭遇した。余震の中、外傷患者の対応を始めた直後に襲ってきた津波は海底の土とヘドロを巻き上げて黒々と病院の500m手前まで差し迫り、しばらくすると津波で溺れた患者さんがトラックで大勢搬送され、初めてトリアージに関わった。夜になると来院者は減り福島市に戻ったが、トリアージの最中、鼻汁や咳、痰が出て、防護したものの指や手についた汚れはなかなか拭えず、鼻孔も黒くなった。その黒い物質の匂いが強かったことは今でも思い出される。

    避難所派遣

    津波とその後の原発事故のために避難所へ避難された住民は3万人弱で、福島県内に約300避難所が設置された。県内の医療事情は混乱し、薬剤の入手・処方も困難であったため、福島県立医大は3月28日より複数の医療派遣チームを緊急編成した。同月31日より避難所に派遣し、6月下旬まで延べ215避難所を訪れ、4000人以上を診察した。

    耳鼻咽喉科は高度医療緊急支援チームの中の小児・感染対策チームに属し活動を行った。大きな避難所には日本医師会災害医療チーム(JMAT)や県薬剤師会が常駐し、備えられた診療室には診療待ちの患者さんが多数いた。その約半数が上気道炎症状、耳鼻咽喉科領域の症状を訴えていた。訴えは避難所ごとに傾向があり、大きなブースで生活しているところは上気道炎(急性咽喉頭炎、副鼻腔炎、鼻アレルギー)が多く、各家族に個室が与えられているところは以前通院していた疾患の健診の依頼が多かった1)。このときに鼻出血が際立って多い印象はなく、鼻出血処置に必要な器具を準備して避難所を訪問したが、実際に止血処置は行わなかった。

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