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医事刑法学者のひとりごと―「積極的安楽死」と「消極的安楽死」―第4回[提言]

No.5066 (2021年05月29日発行) P.53

小林公夫 (一橋大学博士,獨協医科大学医学部医学科学外講師)

登録日: 2021-05-30

最終更新日: 2021-05-25

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  • 第3回までの論稿では,昨年7月に明るみに出た,ALS患者の女性への薬物投与事件を検証した。また,グレーゾーンの治療中止事例である公立福生病院の人工透析治療中止について,分析を試みた。なお、福生病院の件は,司法官憲が介入を躊躇した微妙な事例であることも述べた。
    これまでも触れてきたように,今後検証事例として増加すると考えられるのは,あくまでも正規の治療行為の延長線上に位置する治療中止事例である。実は,そのようなグレーゾーンに位置する治療中止事例は,わが国ではこれまでも散見され,議論されてきた。今回は当該範疇に類型化される過去の事例を検証する。

    1 北海道立羽幌病院事件の概要

    グレーゾーンの事例で我々研究者がまず留意し検討すべきは,北海道の道立羽幌病院事件1)〜3)であろう。当該事件は2004年2月,留萌管内羽幌町の道立羽幌病院の女性医師(当時32)が無呼吸状態に陥った男性患者(当時90)の人工呼吸器のスイッチを切り,患者が死亡したというものである。当時の報道によれば,男性は病院に運ばれた際に意識がなく,心肺停止で瞳孔も開いていた。女性医師は人工呼吸器で延命治療を施行し,「脳死状態」であることを家族に伝えたという。病院側は女性医師の治療と家族への説明に「問題はない」などとし,報告を受けた道も当初は問題視していなかった。

    ただ,女性医師が患者・家族側の意思をどのように確認したのか,判然としないものがあった。さらに,女性医師の治療や脳死判定が,「死が回避不可能なのかどうか,複数の医師による反復した診断の必要性」(1995年の東海大安楽死事件の横浜地裁判決)4)5)という判断に沿っていたかどうかも明確ではなかった。

    同病院の佐藤卓院長(当時)は会見し,「スイッチは切るべきではなかった」として人工呼吸器を外した行為については疑問視する一方,「女性医師は家族に十分に説明した。(スイッチを切ったのは)家族の強い希望だった」と強調した。

    当時の報道から詳細な経過を追うと,男性は同病院に搬送された時点で心肺停止し,瞳孔が散大。心臓マッサージなどを行った結果,心臓の波形は現れたが,女性医師は家族に「脳死状態で長くは持たない」などと説明した。その後,家族の希望で人工呼吸器を装着したが,翌日午前,血圧が30~40まで低下したという。

    これについて,当時の院長は「(人工呼吸器を外さなくても)あと1,2時間で心肺停止していた。『これが限界』と説明すれば,家族も『(延命措置を)止めて』とは言わなかっただろう」と説明した。

    2 道警による書類送検とその無価値

    羽幌病院事件は,翌年4月27日の報道6)によると,医師は殺人容疑で書類送検されたという。道警などは,女性医師には患者の死亡につながるとの認識がありながら人工呼吸器を外した上,一連の行為が,東海大安楽死事件での横浜地裁判決4)5)で示された「延命治療中止」の要件を充足していないことを重視した。すなわち,①回復の見込みがなく,死期がせまっている,②治療行為の中止を求める患者の意思表示か,患者の意思を十分に推定できる家族の意思の存在,③「自然の死」を迎えさせる目的に沿った決定─の要件を充足しておらず,正当な医療行為には当たらないと判断したとみられる。

    私が,一連の羽幌病院事件の捜査過程を見ていて「不経済・無価値」と感じるのは,2006年4月7日の共同通信社の配信で,旭川地検が医師の起訴は困難である,との結論に至っているからである。旭川地検は,本件の是非に関し,緊急医療を専門とする道内外の複数の医師らにカルテなどの鑑定を依頼。死亡直前の状態について「血圧が極度に低下しており,治療の施しようがなかった」との結論を得たという。鑑定を依頼された医師の中には「呼吸器を外さなくても20分以内に死亡していた」との意見もあり,呼吸器外しと患者の死亡には因果関係が認められないとして,医師の起訴は困難である,との結論に達したというのである7)

    医師の皆さんには分かりにくい理論構成であろう。そこで今回は,羽幌病院事件で検察が述べている刑法理論について,少し分明に解説しておこう。

    刑法上の犯罪が成立するには,まず犯罪の構成要件に該当する「実行行為」というものが存在しなければならない。そして通常は,この実行行為から結果が発生するが,この2つの間に因果関係が存在しなければならない8)9)

    よく,テレビの報道などで,どうみても「殺人事件」であろうという出来事を,「警察は『殺人未遂事件』として捜査している」と報じられる場面がある。不思議に思われた方もいるだろう。これは,少なくとも殺人の実行行為(ナイフで急所を刺すなどの行為)があり,加害者に殺人の故意も認められ,被害者は死亡しているが,「殺人罪」と断定していないためである。すなわち,殺人の実行行為と被害者の死という結果の間に,その時点で因果関係が存在するか精査が必要なため,一歩前の段階である「未遂」として発表しているのである。

    それでは,この理論的な枠組みを本件に当てはめてみると,どうなるか。医師による人工呼吸器を外す行為(殺人の実行行為)→患者の死亡,という結果の図式は成立しているように思われる。だが,呼吸器を外さずとも,ほんの20分以内に自然死が到来していたであろうという鑑定結果が出ているため,医師の実行行為と患者の死亡との間に因果関係が存在したかが分明ではない,との結論に至ったのである。

    ここには,刑法の教科書で目にする講談事例を彷彿とさせるものがある。

    「AがBに対し致死量を満たす毒を盛った。通常,その量であれば2時間程度で体に毒が回り,昏睡に陥り死に至るという。ところが,5分後その場にCが現れ,Bを拳銃で射殺した」
    というような事例である10)。このケースでAは殺人未遂となり,Cは殺人既遂となる。つまり,Aが生起させた毒殺の因果関係は,Cの銃殺という瞬時の実行行為により作り出された因果の流れに追い越されてしまった訳である。

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