1989年というはるか昔のこと、以前の研修制度で初期研修医として大学から外病院(今でいう関連病院)に出張しました。そこは、出身大学の比較的近い場所にあった結核を中心とした療養所でした。最初の受け持ち患者さんのうちの1名は多剤耐性結核の70歳代の華奢な女性でした。「なぜ薬が効かないのか?」と「なぜ10年以上もここに入院しているのか?」が分からず、衝撃が冷めやらぬまま、結果的には患者さんは床上から動けなくなり、やがて遠方にあったご自宅近くの療養所に転院されました。
その後出会った男性患者さんは40歳代半ばで、当初は主治医ではなかった方ですが、いつからか私の受け持ちとなりました。多剤耐性結核肺右上葉切除後残存肺再発慢性排菌。当時キノロン薬は結核治療に保険適用がなく、ほとんどの抗結核薬に耐性であった彼は自暴自棄とさえ言えました。自宅隔離を望み、家族もバックアップしていましたが、再三の保健所の面談要請にも応じず、病院が彼の防波堤として「通訳」の働きをしていました。残っている薬剤をすべて投入し、当時から専門家の中でキノロン薬を使い始めていたので右へ倣えし、そして塗抹検査は消えていき、培養のみときどき出る状態になりました。
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