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原発事故と甲状腺モニタリング[福島リポート(28)]

No.4944 (2019年01月26日発行) P.24

山下俊一 (福島県立医科大学副学長/長崎大学学長特別補佐)

登録日: 2019-01-23

最終更新日: 2019-01-23

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  • 東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故(福島原発事故)以降,県民の健康見守りを目的に福島県民健康調査事業が実施されている。その1つに,甲状腺検査がある。大規模かつ精微な甲状腺超音波検査の導入,すなわち集団スクリーニング効果による甲状腺がん発見の解釈に一部混乱もみられ,誤った報道もなされている。

    原発事故から7年7カ月が経過し,2018年10月に公表された国際がん研究機関(International Agency for Research on Cancer:IARC)による原発事故後の「甲状腺モニタリング」という概念に基づく新たなガイドライン(IARC2018報告書)を紹介する(図1)。このガイドラインでは事故直後の甲状腺内部被曝線量の推計が重要となっている。

    既に,世界保健機関(World Health Organization:WHO)では,感染症アウトブレイクなど非常事態での一般公衆に対するリスク管理のあり方について一定の見解を示し,関係者間での理解を深めることで,その信頼性の保持と円滑なコミュニケーションを推奨している(図2)。

    はじめに

    がん生物学,がん疫学,そしてがん分子生物学や分子病理学の進歩により,放射線被曝と甲状腺がんの因果関係についても新たな知見が集積されている。特に,遺伝子損傷と修復,細胞周期や免疫監視機構などから発がんプロセスを考えると,がんリスクも遺伝的背景と細胞内外の環境因子,さらに老化との関係から多岐にわたる遺伝子異常の蓄積へとその洞察が深まっている。

    福島原発事故以降,大規模な甲状腺超音波検査が繰り返し行われているが,本来,甲状腺への放射線被曝線量が低い(100mSv以下)条件下でのがんリスク計算は,直線閾値なし(linear non-threshold:LNT)モデルに準じた仮説であり,健康影響の実態とはかけ離れているものの,放射線防護の観点からはできるだけ無益無用な被曝を避けるという概念が国際的な考えとなっている。

    IARC2018報告書の要旨

    原発事故が起きると,環境中に大量の放射性物質が放出拡散される。公衆被曝,とりわけ短半減期の揮発性の放射性ヨウ素の吸入や,汚染された飲食品の経口摂取による甲状腺内部被曝に続き,晩発性の甲状腺がんリスクの増加が,チェルノブイリ原発事故後の教訓として広く人口に膾炙している。その結果,福島原発事故に遭遇した被災者や公衆は,混乱と混迷の渦中で死の恐怖や負の刻印を感じるとともに,健康影響に関する大いなる不安と,小児甲状腺がんに関する重大な懸念が特に生じ易いと言える。

    福島県では,県民の健康見守り事業の一環として,被災半年後の2011年10月からおおむね18歳以下の県民約38万人を対象として,大規模な甲状腺超音波検査を一定の診断基準とプロトコールに沿って,先行検査から本格検査へと繰り返し実施している1)

    このこと自体の妥当性を評価するものではないが,IARCは科学的学術論文とチェルノブイリの教訓を中心に専門家の意見を集約し,今後原発事故が起きた場合,緊急時対応とは別に,一般論として,長期にわたる甲状腺検査のあり方をどのように考えるべきかを,予後良好な甲状腺がんの過剰診断問題を念頭に,初めての提言を以下のように導き出している2)

    (1)甲状腺集団スクリーニング

    甲状腺集団スクリーニング(population thyroid screening)とは,甲状腺の個人被曝線量にかかわらず,確立したプロトコールに従った健康管理に基づく甲状腺検査への積極的な参加を,被災住民全員に求めることであると定義される。しかし,専門家グループは,大規模な甲状腺スクリーニングは,集団レベルにおけるベネフィットにはそぐわないという理由から,反対の立場をとっている。

    (2)甲状腺モニタリングプログラム

    専門家グループは,原発事故後に甲状腺がんのリスクが高い対象者に対しては,長期にわたる甲状腺モニタリングプログラム(thyroid monitoring programme)の提供を考慮することを推奨している。

    専門家グループが定義する「甲状腺モニタリングプログラム」とは,健康情報や知識の改善教育,参加者登録,甲状腺検査データ収集の中央管理と,健康管理を含むものである。そして,このプログラムは,高リスクグループに随意に提供されるものである。この場合の高リスクグループとは,胎児期から乳幼児,小児期,そして青年期にかけて,甲状腺被曝線量100~500mGy以上を被曝した場合と定義されているが,甲状腺検査やフォローアップについては,疾病の早期診断と早期治療のベネフィットを個々人が理解した上で,被災者自らが選択して受診できるものとすべきである。

    (3)甲状腺モニタリング

    甲状腺モニタリングとは,甲状腺集団スクリーニングと異なるものであり,個人に焦点を当てたものとして開始される。甲状腺モニタリング検査を開始する前の段階では,対象者,家族,医療関係者が協議し,甲状腺検査やフォローアップをすべきか,さらにどのようにすべきかなどの意思決定プロセスに参加し,情報共有をすることから始める。本来医療が患者を中心としているのと同様に,被災住民中心の健康サービスという原則から,無症状の個人へのアプローチであることをふまえ,個人の価値観や好み,そして背景などを考慮した上で受診の意思決定を尊重する必要がある。的確な判断に資するような良質な教育資材を用いた支援とともに,検査の潜在的なリスクベネフィットが説明されなければならない。

    以上の勧告は,放射線被曝に特異的なものではなく,他の環境汚染や種々の被曝状況下における公衆被曝対策として展開されるべきものであり,原発事故後の甲状腺モニタリングの意思決定でも考慮されるべきものである。さらに,広義の甲状腺モニタリングとして,がん登録や事故前の主体的なリスクコミュニケーションプログラムが含まれる。同時に,適切な線量モニタリングプログラムや事故直後の安定ヨウ素剤服用による甲状腺被曝阻止・低減措置などが含まれている。一方では,これら甲状腺モニタリングについての意思決定プロセスは,単に科学的なエビデンスだけではなく,当事国の社会経済状況,ヘルスケア資源,社会的価値感に影響され,そして最終的には政府や関係機関の決定によりモニタリングプログラムが導入されることになる2)

    以上の要旨に続いて,IARC2018報告書ではガイドライン作成の背景,目的,科学的エビデンスに資する学術論文の検証方法,具体的な原発事故後の甲状腺モニタリングの提言内容について詳述されている。また,過去の論文から甲状腺がんの病理,自然経過,発症リスク要因,疫学,スクリーニング効果,過剰診断の問題,そして治療管理などの最新知見を紹介している。さらに,放射線と甲状腺がんに関する特徴と過去の原発事故の経験からの教訓を導き出しているが,なお未解決の課題が残っているため,それぞれについての問題点を整理している。

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