1978年東大卒。米スタンフォード大腫瘍学教室ポストドクトラルフェローなどを経て、95年東大臨床検査医学講座助教授。2002年同大医学教育国際研究センター教授。03年同大病院総合研修センター長。16年10月より国際医療福祉大教授。17年4月同大医学部長。19年より現職
指導医:「元気に研修しているかい? 進路は決まったかい?」
研修医:「先生、楽で儲かる診療科って、どこですか?」
指導医:「???? なんでそんなこと聞くの?」
研修医:「研修ローテーションをしていても、なかなか『これだ!』と思える診療科がなくて……。どこの診療科も若手の先生はプライベートを犠牲にして働いていて、自分にはとてもできないなぁと思ったりします」
指導医:「患者の命を預かる以上、仕方ないところがあるね。幕末のオランダ人医師のポンペは『ひとたびこの職務を選んだ以上、もはや医師は自分自身のものではなく、病める人のものである。もしそれを好まぬなら、他の職業を選ぶがよい』と言っているけど、時代が違うからねぇ。でも、この言葉は今でも長崎大学医学部の建学の理念として心の拠り所となっているね」
研修医:「患者さんに直接関わらない診療科もありますよね。そこだと背負う責任は少なくて済みますか?」
指導医:「病理や放射線診断、臨床検査などは患者さんに接することは少ないけれど、責任が少ないとは言えない。ただ定時に帰れることは多いかもしれないなぁ」
研修医:「それらの診療科は開業しにくいですよね」
指導医:「中間的なものとして、麻酔科があるね。ペインクリニックを開業している方も多い」
研修医:「受持がある診療科で楽なのはどこですか?」
指導医:「いわゆるマイナー系は儲かるかどうかはわからないけれど定時に帰れるかも? ……いやいや、そうとも言い切れないなぁ。産婦人科は当直が多そうだよね」
研修医:「外科系は『命を助ける』という使命が分かりやすいですが、エンドレスに働いているイメージです」
指導医:「働き方改革が求められている時代、高いモチベーションで働けて、プライベートも確保できる職業にならないといけないね」
研修医:「総合診療というのはどうですか?」
指導医:「狭い意味の診療医というだけでなく、予防医療、看取りなど幅広い領域で活躍できるよね。地域との連携も重要だから、患者さんや住民の方と信頼関係を築くことでやりがいが感じられそうだね」
この話は大団円で終わった。しかし、進路を決めるタイミングが遅くなっている学生や研修医は増えているように感じる。その理由を考えてみた。
▶開業医の子弟が少なくなり、「この領域の専門家にならなければいけない」という医師が減少
医学部人気と授業料の下落のため、どこの医学部も入学偏差値が上昇し、開業医の子弟の割合が少なくなってきている。また、理系で成績が良いという理由だけで医学部進学を決めていた学生も多く、モラトリアムに陥りやすいと思われる。
▶専門医制度などの医師のキャリアパスに関する制度設計が定まっていない
2004年より必修化された卒後2年間の臨床研修制度はすでに定着している。しかしそれ以降の専門医制度はというと、総合診療領域では特に制度が定まっていない。また先輩もいないため様子を見ている傾向がある。
▶「やりがい・生きがい」から「儲かる」へと社会の価値観が変化している可能性
自動車会社の会長や米国の大統領の例を持ち出すまでもなく社会全体が精神的な満足感よりも、現物的な拝金主義に傾いているように思う。患者や社会から尊敬されるよりも、年収で評価されたいと思う社会風潮があるのではないか。
その他にも若者がモラトリアムになる理由はあるだろうが、臨床実習や臨床研修の間に「天職を見つけた!!」と思える診療科や先輩医師に巡り合わないことは、不幸と言わざるを得ない。
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