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高木兼寛(6)[連載小説「群星光芒」308]

No.4898 (2018年03月10日発行) P.68

篠田達明

登録日: 2018-03-10

最終更新日: 2018-03-06

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イギリスから帰朝した年の12月10日、高木兼寛は海軍中医監(中佐相当)に昇進して東京海軍病院長に任命された。

海軍省とのお雇い契約を終えたアンダーソンは帰国することになり、その折、兼寛は彼からウィリス校長のその後の消息を知らされた。

ウィリスは鹿児島医学校との教鞭契約が明治7(1874)年1月で満期になったので一旦北アイルランドに帰国した。明治9(1876)年に再び来日すると、同年5月1日から向う3カ年間、月給600円で再契約を結んだ。

ところが明治10(1877)年1月に西南戦争が勃発して鹿児島藩は医学校と病院を閉鎖することにした。外国人にも引き揚げ通達が出され、ウィリスは妻八重子と息子アルバートを横浜に残して単身日本を去った。「ウィリス軍医は後ろ髪を引かれる思いだったようだ」とアンダーソンはつけくわえた。

海軍病院の脚気患者は帰国前よりさらに増えていた。明治11(1878)年から13(1880)年末までに海軍全体の1日平均総患者のざっと3割が脚気に罹っていた。

明治14(1881)年の夏がきて状況は一層悪化した。東京と横須賀両海軍病院の入院患者のうち7割を脚気患者が占めた。若い兵員がよろけるようにして入院してきて数日も経ぬうちに脚気衝心(急性心不全)をおこして苦悶の表情もあらわに胸をかきむしりながら死んでゆく。兼寛はその凄惨な臨終になんども立ち会った。彼らの柩を見送った晩など、「なんとしても脚気を絶滅して兵員たちの命を救わねば」と妻の富子に眼をうるませて告げるのだった。

同年10月、海軍大医監(大佐相当)に昇進した兼寛は部下たちに言った。

「兵員の脚気病は国防上放置できぬ大問題である。対策として、まず発症原因を明らかにせねばならない」

兼寛は留学中の講義で「健康を維持する食事の割合は窒素1に対して炭素約15の割合である」と学んだ。そこで海軍兵食を分析してみると、窒素と炭素の比率は約1対28となった。

――そうか、兵員たちは炭水化物ばかり摂取して蛋白質がきわめて足りないのだ。

なぜそうなったか、思い当たるふしがあった。

――海軍では兵食費用として1人当たり1日18銭を支給している。しかし、兵員たちは1日10銭の粗食で食事を済ませ、残りは貯蓄して故郷に仕送りをしている。

――この慣わしが兵員の栄養状態を悪化させて脚気を発病するのではないか。士官たちにほとんど脚気が発症しないのは栄養十分だからかもしれない。

数日後、兼寛は海軍省副官の山本権兵衛大佐に面会した。山本権兵衛、通称ヤマゴンは鹿児島藩槍術師範の家に生まれた強者で、海軍の親分的存在だった。

そのヤマゴンのいかつい顔に向かって「ひとつ提案いたしますが」と兼寛は申し出た。「海員の食事は肉や卵を主とする洋食に変更することにしてはいかがで……」

終いまで言わせず、ヤマゴンはぶるっと頰をふるわせて拒絶した。

「長年白米飯に慣れた海員の食事を一挙に洋食に変えるのは論外でごわす」 

やむなく兼寛は川村純義海軍卿に直に頼むことにした。

川村海軍卿は東北戦争の際、会津城攻略に功を立て、維新後は海軍中将を経て海軍卿に就任した薩摩隼人である。

「閣下、兵員の食事を改善するため給食の現物支給をぜひ願います」

単刀直入にそう申し出ると、川村海軍卿は広い額と長い顎を反らして質した。

「なぜ急にそんな話を持ち出すのか?」

「海軍兵員の脚気病を早急に予防するためです」

海軍卿は眉根を皺めて質した。

「おはんは海軍の脚気病の原因をなんと心得ちょる?」

「小官は兵員の食事内容の片寄り、すなわち食品の組成の不良が脚気と関わりが深いと考えております」

海軍卿は首をひねった。

「要するに脚気の原因は何なのか?」

「兵員に与える白米食が悪さをしていると考えます」

「それでは漢方と同じではないか」

「いいえ、漢方では窒素と炭素の比、すなわち食物中の蛋白質と炭水化物の割合を全く考慮に入れておりません。小官は兵員の食事を蛋白質成分の比重を高めた洋食に準じたものに改めるべきと考えます」

「難しいことは判らん。結局おはんの考えではどうすればよいのか」

「従来の食費給金制度を廃して現物の食事支給に改め、なおかつ白米食からパンや肉類の洋食主体に替えるべきです」

「そりゃだめだ。現今の海軍予算で兵食を洋食に改めるのはとても無理じゃ」 

海軍卿は高い鼻先と大きな唇をゆがめて兼寛の要望を突っぱねた。

念の為、海軍主計局長の許にゆくと、
「仰るような兵食改善を実施するには、およそ5万円の経費を要します。海軍経常費予算300万円から到底捻出できません」と強く頭をふった。

海軍では将官たちの宴会がたびたび催された。酒盃を傾けながら忌憚なく本音を語りあう飲み会である。その夜の会では、酔いの回った将官たちがもっぱら陸軍への不満をもらし、兼寛は聞き役に回った。

「世間では陸の長州、海の薩摩と言うが、実態はまったくちがうな。長州藩出身の山縣有朋陸軍卿が絶大な権限を持って内務省、司法省、宮中、貴族院など、すべての官庁を牛耳っちょる」

「陸軍は膨大な予算を抱え、海軍は少なく抑えられちょる。海軍は軍艦の建造と装備に莫大な資金と技術が要るんで、まずは陸軍に予算を集中させ、陣容が充実いたせば海軍を育成するなどと放言する幹部さえおじゃった」

「陸主海従、さながら海軍は陸軍の小間使いのごとき扱いじゃ。いまに海軍は陸軍に併呑されかねん」

そんな繰り言に兼寛は、「海軍兵食の改善は予算不足で当分だめか」と嘆息した。

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