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国籍[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.138

チャンドラ(Chandra, W) (半田クリニック理事長・院長)

登録日: 2018-01-09

最終更新日: 2017-12-25

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日本の国会議員の国籍問題が新聞の話題になったと同時に、豪州の国会議員は二重国籍の問題で辞職になったことも表面化した。

単一民族の日本には国籍のことについては誰も悩むことがなかったが、これからの世界経済活動、文化交流、労働力の海外依存による人員の流れで、もう避けられない問題になっている。国籍問題でこれから悩む人が出てくるに違いない。生まれた国によって、その国の国籍法の「出生地主義」*1、または「血統主義」*2の違いで、二重国籍になるかならないかで人生が変わってしまう。

2015年の炉辺閑話の「祖国」で述べたように、3つの祖国を持つ僕にとって、国籍は決して他人事ではない。20歳まで二重国籍の僕は、日本に留学しやすくするために、1つ目の国の国籍を放棄し、2つ目の国の国籍を取得した。だから、民族意識希薄の僕にとって国籍はあくまでも生活の手段にすぎない。自分の利便のために国籍を選んだわけである。多くの国民にとって、国籍は簡単には変えられないし、好き勝手に選択もできない。国籍を自由に選択できる二重国籍の人にしかない1回だけの「特権」である。

二重国籍の人の多くは、祖国の貧困と政治の混乱に絶望して世界に散らばり、一部はゼロから富を築いた人々の子孫である。祖国での人間関係、仕事の仕方への再適応ができなくなり、祖国への帰国をあきらめて、国を捨てて、外国に留まる人々が多い。

法的に特定の国と個人を結ぶ絆として、18世紀以降における市民革命を経て国民と国家の概念から生まれたのが国籍である。

国、国籍という言葉は本当に抽象的で、僕にとっては何の意味もない表現である。僕はそれに縛られず、またその概念も持たない。20歳までは僕にとって国は何の意味もなかった。逆に僕はそれに悩まされた。自力更生である。今、5年に1回の旅券の更新は、僕にとっては負担である。許されるなら、一層無国籍にしたほうがもっと楽になるのではないか、と時々考えている。しかし、現実ではそれが認められない。現在、欧米のいくつかの国では多国籍を容認することもある。羨ましい世界である。

今、僕はもう3つ目の国の国籍を取得する資格を十分満たしている。しかし、僕にはまだその積もりがなく、今のところその必要性もない。必要性を感じる時の決断である。3つの国を有し、2つの国籍を経験したことのあるこの人生はめったになく、その中に誰も知らない苦労、葛藤もある。それがあるからこそ、忍耐と努力があり、今の現実に導いたわけである。初心を忘れることなく、この結晶を守る立場にある。

*1:‌自国で生まれた子に自国の国籍取得を認める法律。
*2:‌自国民から生まれた子に自国の国籍取得を認める法律。

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