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大人の偏見、若者の言い分[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.133

小西聖子 (武蔵野大学人間科学部心理臨床センター教授)

登録日: 2018-01-09

最終更新日: 2017-12-22

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アダルトビデオ出演の強要が昨年度は大きな問題となった。この被害に遭った女性何人かに話を聞く機会があったが、彼女らが異口同音に語っていたのは、確かに「契約書」があったが、内容はよくわからずに、モデル業や女優業だと思って契約した、あるいはヌード撮影があるとはわかったが、いつでも断れると説明された、多くの有名女優がAVからスタートした、という話を繰り返し聞かされた、などというエピソードである。

そもそもそんな契約をしなければいい、というのが、最大公約数の意見だろう。このことが、そんな話を信じるほうが悪い、被害に遭うのは遭う人が悪い、という偏見に結びつく。

被害者の実話を詳しく聞くと、この一般論には甚だしい想像力の不足があることがわかる。私たち─「しっかりした大人」─は本当に契約書をいつも隅から隅まで読んでいるのだろうか。スマホのアプリについている同意契約を全部読んでから「同意」のボタンを押す人がたくさんいるとは思えない。そういう人は少数派、変人である。銀行ローンの契約書をつくるときには、相手が「銀行さん」だから、説明と違うことは書いてないだろうと信用する。要は契約書の内容を見ているのではなく、相手を信用して署名するのである。誰がだれであろうと全部読まないと署名しないような疑い深さは、実際には生活の中では、むしろ不適応だし、推奨されていない。

こういうと、それでも女優のスカウトなんか信用するのがおかしいと言われそうだ。でも、スカウトする男(時には女のこともある)は親切で、紳士的である。当然のことながら、犯罪者然としていない。言葉を尽くして「実際にはたいしたことはなく、あなたの夢を叶える足がかりになる」と熱心に説明する。

被害者は若い。若い人は、老人ほど疑い深くない。あなたのお子さんやお孫さんは、人をいつも疑っているだろうか。素直な子どもは、人の説明を信じるように教育されている。また、不幸な状態にある子どもは、自分を助けてくれそうな人にすがりつく。危ないと思っていてさえも別の場所に救いを求める。

被害に遭う若い人の状況をよく聞くことからしか偏見の打破は始まらない。

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