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完璧と寛容 [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.134

志馬伸朗 (広島大学大学院医歯薬保健学研究院応用生命科学部門救急集中治療医学教授)

登録日: 2017-01-05

最終更新日: 2016-12-26

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臨床医学とは選択の繰り返しである。いずれの診断、いずれの治療が正しいのか、臨床医はそれぞれに置かれた状況で、時には瞬時にこれを判断し、診療を進めていかなければならない。そして難しいことに、選択の後にもたらされる結果(患者転帰)は1つであり、すべてが良好なものではない。

結果が良ければ、患者と医師はともに安堵する。一方、結果が悪ければ、少なくとも医師は数多くの選択肢の中で、どこでどう間違えたのかを、繰り返し悩むことになる。後付けでは、「選ぶべきであった」もうひとつの選択肢が、後悔とともによみがえる。時には、「後から名医」が、傷口に塩を塗りつける。

この後悔を少しでも避けるために、医学は「エビデンス(根拠)に基づく診療」を生み出した。統計学的に、より成功率の高い方法を選択することで、患者転帰を改善し、医師の後悔を減じようとしてきた。しかし、エビデンスに基づく医療も、決して完璧ではない。エビデンスは、よりマシな選択を示唆するにすぎない。そもそも臨床医学の中で、確固たるエビデンスそのものが存在しない領域のほうがはるかに多い。結果、依然として臨床医学は、万人の欲求に完璧に応えることは叶わず、不確実なものであり続ける。

重要なことは、この不確実性について、医療の提供者・受給者双方が、よく理解することである。医学には限界があり、満足のいかない結果が必ず起こりうる。結果は現存するが、理想の真実は、実はどこにもない。負の結果に対する責任や価値観をお互いに押しつけることなく、ある程度の寛容とあきらめを許容することで、息苦しくない持続可能な臨床現場が、かろうじて維持されるだろう。

このことから目を背け、すべてにおいて完璧を求め、問題が起きたときに「真実の究明」の美名の元にスケープゴート捜しをする昨今の社会風土(もちろんこれは、医療現場の問題にとどまらない)は、人類の末期的状況を示しているように見える。米国の大統領選挙が図らずも呈したのは、現代に疲弊した市民のより遠い過去への回帰願望であった。コンビニもスマホもない時代にあえて戻りたいとする背景には、寛容性を求める呼吸困難の人類の渇望がある。医学を進歩させることと同等に重要な、解決すべき医療の問題点がここにあると思う。

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