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地獄への道 [フィロソフィア・メディカ2(5)]

No.4826 (2016年10月22日発行) P.66

中田 力 (新潟大学名誉教授・カリフォルニア大学名誉教授)

登録日: 2016-09-21

最終更新日: 2016-10-24

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  • 良心で舗装された道

    「自分たちが必要のない存在だとは思わない」

    私が最も偉大だと信じている患者さんの言葉である。
    アカデミッシャンとはいえかなり古典的な部類に入る私は、臨床はもちろんのこと研究に関することでさえも、そのほとんどを患者さんに教えてもらった1)。そんな私にとってもこの言葉は衝撃だった。
    患者さんは脊髄小脳失調症2型(spinocerebellar ataxia type2:SCA2)、当時はOPCA(オリーブ橋小脳萎縮症)と呼ばれていた遺伝性疾患に罹患していた。SCA2もハンチントン病(Huntington disease)と同様に、今ではトリプレット病(trinucleotide repeat disorders)であることが判明しており、その発症機序もそれほど単純ではないことも理解されているが、当時はまだ、常染色体優性遺伝病として、原因遺伝子さえ同定できれば病気を撲滅することが可能であるとの風潮が強かった時代であった。
    グゼラ2)による多型連鎖解析で、ハンチントン病の原因遺伝子が4番の染色体(chromosome 4)上にあることが示されたのが1983年である。その3年前、1980年5月8日、世界保健機関(WHO)は天然痘根絶宣言を出していた。常染色体優性遺伝を示すハンチントン病の原因遺伝子解明が間近であるとの状況は遺伝学者たちを舞い上がらせ、某著名大学の権威者により「優性遺伝病も天然痘と同様に撲滅できる」とのコメントがテレビに流れた。たまたまその放送を病棟で見ていた患者さんの言葉であった。

    「自分の遺伝病が人類の歴史の中で淘汰されずに残ったことには理由があるはずだ。この病気を持った人間の存在が、人類にとって、何らかの形で必要であったに違いない」

    彼女は哲学者だったわけではない。ましてや、当時まだ科学者の間でもはっきりとは理解されていなかった複雑系の専門家であったわけでもない。それでも、彼女の言葉には底知れぬ説得力があった。今から思えば「複雑系の極意」を言い当てた言葉だったのである。
    優性遺伝を示す病気、それも難病とされる神経疾患に罹患することは大変なことである。子孫にその遺伝子を残したくないと考えることも必然である。そんな患者さんご本人が、自分の病気の原因遺伝子を人類の遺伝子プールから抹殺することが、人類にとって得策であるとは言い切れないと主張したのである。頭の下がる思いだった。

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